先日、たまたまコンビニの書籍コーナーで見かけた、『劇画 楠木正成』と『劇画 足利尊氏』という2冊のコミックを同時に買って、早速読んでみました。
著者は異なりますが、どちらもゴマブックスという同じ出版社から刊行されている、所謂コンビニコミック(装丁は簡易な厚紙の外装のみで、普通の漫画単行本と違ってコスト削減のためカバーは付いていない廉価版コミックス)です。
『劇画 楠木正成』は、そのタイトルから、正成の生涯を描いた伝記コミックなのかと思いきや、正成の誕生から湊川の戦いに至るまでの流れは、プロローグの数ページで済ませており、本編のほぼ全ては、正成と尊氏が戦い正成にとっては最期の戦いとなった湊川の戦いを、太平記などの記述に従ってほぼ忠実に描いたものとなっていました。
つまり実態は、正成の生涯をマンガ化した伝記コミックではなく、主に正成の視点から、湊川の戦いというひとつの合戦(正成にとって人生最後の日となる一日の出来事)をマンガ化した作品といえます。
ですから、それまで数々の奇策により常勝を続けてきた正成の華々しい活躍は見られませんが、この作中での正成は、私達が楠木正成と聞いてイメージする人物像・性格の正成そのもの(戦上手、人望が厚い、領民思い、一貫して後醍醐天皇に尽くした忠臣)であり、ラストはやはり、「七生報国」という言葉を後世に遺した事で有名な、楠木一党のあの自害シーンで終わる事になります。
ちなみに、尊氏は敵方の大将として、一応作中には登場はしますが、尊氏の顔が正面からはっきりと描かれるシーンは一度だけで、作中で存在感は示すものの、メインキャラの扱いではありませんでした。
もう一方の『劇画 足利尊氏』は、読んでみると、『劇画 楠木正成』以上に予想を裏切られました。
この作品は、誕生から病没までの尊氏の一生が描かれているので、史実に忠実ではあるか否かとい点を除くと、とりあえず尊氏の伝記的なコミック(一代記)ではあると言えない事もないのですが、実際には、尊氏が御家人として鎌倉幕府に仕える所から鎌倉幕府を討幕する所までの期間の描写に作品の大半が費やされていて、その後(建武の新政から尊氏の病没まで)については、一応50数ページは費やされているものの元々コンビニコミックとしては分厚い本なので、作品全体の中では、本編の一部というよりはエピローグ的な扱いになっています。
そして、この作品『劇画 足利尊氏』の何よりも凄い所は、前出の『劇画 楠木正成』とは違って、時に史実をほぼ無視し、作者の独創的なオリジナルの設定やストーリーが随所で自由に展開されているという事です(笑)。
とはいっても、所謂“架空戦記”の類ではないの、鎌倉幕府は後醍醐天皇方が興した討幕軍の完全鎮圧に成功してその後も鎌倉幕府は存続したとか、一旦鎌倉幕府は滅びたものの北条時行が幕府の再興に成功したとか、湊川の戦いでは尊氏のほうが戦死したとか、そういったトンデモな事態は起こりませんが、例えばこの作品の中で描かれていた以下の3点は、明らかに史実ではないと思われます。
① 全国から秀才が集まるとされる「京都学問所」という、都にある学舎で、鎌倉時代末期、尊氏、正成、新田義貞、日野資朝の娘である日野紫の4人が、同期の学友として1年間共に学んだ。この時、尊氏・正成・義貞の3人は、「立場は違ってもこれからも俺たちは親友だ」と約束もし合っている。 …この解釈だと、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕の挙兵する以前から、尊氏と正成は個人的な友人であった事になりますね。
② 「我が命を縮め三代の後に天下を取らしめ給え」といった内容の遺言(置文)を残して足利家時が自害した部屋が、床に血糊も付いたままの状態で、足利館では開かずの間として密かにそのまま保存されていて、尊氏は初めてその部屋に入って、「俺は天下を取るために生まれた、足利の申し子なのか!」と知り決意を新たにする。
③ 湊川の戦いでは、尊氏と正成の一騎打ちが展開され(オイオイ!)、その後正成は、「尊氏、こんなふうになってしまったが、俺はおまえと会えて嬉しかった…」とその場で尊氏に直接言い残し、そのまま尊氏の眼前で自害して果てる。
あと、尊氏はかなりやんちゃな跳ねっ返りで、鎌倉幕府の武士であった当時から、北条高時に対して露骨に反抗的な態度を示すなどの描かれ方がされており、それに対して正成のほうは どちらかとういうとクールでニヒルな二枚目で、泥臭さが全く無い描かれ方をされており、私としてはそれも違和感を感じましたが、逆に、ちょっと新鮮で面白かった作品ともいえます(笑)。
ちなみに、足利家時の置文伝説は、難太平記にも記されている事から有名なエピソードではありますが、今日では史実としては認められていません。
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