楠木正成といえば、特に明治以降は「日本史上最大の軍事的天才」「大戦術家」「希代の英雄」「南北朝時代のみならず日本の全時代を代表する名将のひとり」などの高評価・賛辞を受け、只管後醍醐天皇に忠義を尽くし一貫して南朝を支え続けた忠臣「大楠公」として、現在も尊崇を受けていますが、今日はその楠木正成の命日です。
684年前の今日、楠木正成が自害しました。大楠公。湊川の戦いで足利尊氏の軍に破れ、弟の楠木正季と刺し違えて自害。元々、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に合わせて挙兵し、尊氏の離反後も南朝に付き従った尊皇家たちのヒーロー。南朝が正式ん皇統とされた明治期になって正一位を追贈されています。
— 歴史雑談録 (@rekishizatsudan) July 4, 2020
下の絵(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)は、湊川の地で弟の正季(まさすえ)と差し違えて自刃しようとする正成を描いたものです。太平記によると、楠木兄弟はこの時に所謂「七生報国」を誓ったとされています。
明治5年、楠木正成を御祭神としてお祀りするため、正成の墓所・殉節地のある神戸市中央区の湊川に「湊川神社」が創建され、現在正成は同神社にて主祭神としてお祀りされています。私も湊川神社へは今まで何度かお参りに行っています。
ちなみに同神社では、本日ではなく、正成が自刃(殉節)した日を新暦に換算した7月12日を、例祭日としています。
太陰暦・太陽暦換算はややこしいですね
— 湊川神社【公式】-楠公さん- (@minatogawajinja) July 4, 2020
足利軍と激戦の末、楠木正成公と正季卿、一族郎党、菊池武吉卿が自刃された建武3年(延元元年)5月25日=
ユリウス暦1336年7月4日=グレゴリオ暦1336年7月12日
として、御遺徳を偲ぶ重儀の祭は毎年7/12に斎行しています#7月4日 #7月12日 #旧暦 #新暦 #湊川合戦 pic.twitter.com/zi3vr9qDA3
なお、湊川神社については、以下の記事(7年も前にアップした古い記事ですが)で詳しく紹介させて頂きましたので、こちらの記事も是非併せて御一読下さい。
http://muromachi.blog.jp/archives/1005035648.html
以下の記事には、平成18年5月に私が皇居外苑南東の一角で見学・撮影してきた、楠木正成騎馬像の写真をアップしております。私の中では、正成といえば、この騎馬像の凜々しいイメージです。
http://muromachi.blog.jp/archives/1005055237.html
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