この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

その他

来月から始まる新元号「令和」と、室町時代中期の元号「応永」

新年度(平成31年度)の初日となる昨日、政府から、新しい元号が「令和(れいわ)」であると発表されました。
あくまでも、昨日は単に発表されたというだけで、実際に「令和」という元号が施行されるのは来月1日からですが、昨日のこの発表が、今上陛下から新帝陛下への「御代替り」を象徴する、歴史的な出来事であった事は間違いありません。実際、新元号発表のニュースは、日本全国で中継や号外として直ちに速報され、世界各国のメディアでも大きく報道されたようですし。

新元号「令和」号外

新たな元号「令和」は、日本最初の元号である「大化」からは248番目となる元号で、千二百年余り前に編纂された日本最古の歌集「万葉集」の、梅の花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す』から引用されました。
これまでの元号は、いずれも漢籍(中国の古典)から選ばれており、今回、初めて日本の古典から選ばれたという事も、大きな話題になっています。恐らく今後は、これが前例となって、日本の古典が新元号の典拠となる、という流れが慣例・伝統になっていく事でしょう。

今回典拠となった万葉集は、天皇・皇族・貴族だけでなく、下級官吏・防人・農民に至るまで、身分に関係無く幅広い階層の人達が詠んだ歌が収められた、我が国の国民文化と長い伝統を象徴する国書であり、そういった点も、個人的には大いに共感出来る所です。


ところで、「平成」の御代が今月いっぱいで終わる事により、我が国に於ける元号の長さ(期間)としては、「平成」は史上4番目に長い元号になります。
最も長かった元号は、多分誰もが直ぐに想像はつくと思いますが、その通り(笑)、64年まで続いた「昭和」です。そして、2番目に長かった元号は、これもやはり想像がつく人が多いのではないかと思いますが、45年まで続いた「明治」です。
では、3番目に長かった元号は何かというと、これは恐らく知らない人が結構多いのではないかと思いますが、35年まで続いた、室町時代中期の元号「応永」です。

応永の35年間は、後小松天皇と称光天皇のお二方が御在位され、その期間、国政の実権を握っていたのは、このブログでも今まで何度か取り上げてきた室町幕府第3代将軍の足利義満と、その後を継いだ第4代将軍の足利義持でした。
義満は、当時の中国の王朝「明」に強い憧れを抱いていた事から、「明徳」(応永の前の元号)を改元する際、明の太祖洪武帝の治世にあやかって新元号に「洪」の文字を撰字するよう働きかけ、その結果、「洪徳」が新元号の候補になるのですが、それに対して公家達は、「洪の字は洪水につながる」「これまで永徳・至徳・明徳と“徳”の字が使われる元号が連続しており、3回連続“治”のつく元号(天治・大治・永治)を用いた崇徳天皇や、5回連続“元”のつく元号(元応・元亨・元徳・元弘・延元)を用いた後醍醐天皇の例と同じになり不吉である」などの理由から反対し、結局、新元号は「応永」に決まりました。

一説によると、自分の望み通りにはならなかったこの結果に怒った義満が、自分が生きている間に元号を変えさせる事を許さなかったと云われており、また、義満の後を継いで将軍となった義持もやはり改元を一切させませんでしたが、それは、義持が「応永」という元号に愛着を持っていたためと云われています。
義持が将軍として在位していた間(室町幕府将軍としては最長の在位となる28年間)に、後小松天皇から称光天皇への御代替りがありましたが、義持の「応永」への個人的な愛着によって、称光天皇は即位から16年間、代始改元が出来なかったのです。
そして、応永35年の1月に義持が死去した後、その年の4月に、漸く代始として「応永」から「正長」へと改元されました。

本来、改元手続きは天皇の勅命によって始まり、新元号は勅裁によって決まるのですが、朝廷が持っていたその改元大権は次第に形式だけのものとなり、室町時代になると、このように改元は時の権力者(将軍)の気分によって、行われたり、逆に行われるのが中止されるなどし、江戸時代になると、改元の手続きに幕府が関与する事が法律に明記されるまでになり、改元大権の形式化は更に進みましたが、明治時代になると「一世一元の制」が定められ、改元は代始に限られるようになり、これによって改元大権は漸くその運用が落ち着く事となりました。


このように、過去には改元に様々な問題や混乱が生じた事もありましたが、近代以降、改元は平和裏に穏やかに進められ、31年まで続いた現在の元号「平成」については、今月30日まで続き、皇太子殿下が践祚(皇位を受禅)される本年5月1日の午前0時を以て、次の元号「令和」の御代が始まる事になります。
1ヶ月後に践祚改元を迎えるに当たって、改めて、我が国が誇る悠久の歴史に想いを馳せ、謹んで聖寿の万歳と皇室の弥栄を祈念申し上げます。


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平成三十一年の年頭挨拶

初詣
新年おめでとうございます
謹んで新春のお慶びを申し上げます

このブログで今まで何度も取り上げてきた室町幕府初代将軍 足利尊氏の生誕からは714年、後醍醐天皇による建武の新政(建武中興)からは685年、湊川の戦い(このブログで度々取り上げてきた楠木正成の戦死)や建武式目の制定(室町幕府の成立)からは683年、尊氏の病没からは661年、南北朝の合一(南北朝時代の終わり)からは627年、関東に於ける戦国時代の幕開けとなった「享徳の乱」の勃発と古河公方の事実上の成立(第5代鎌倉公方 足利成氏が下総国古河に移る)からは564年、日本史上最大の内乱とも云われる「応仁の乱」の勃発からは552年、剣豪将軍とも称された第13代将軍 足利義輝(私が個人的に好きな人物)の壮絶な最期からは454年、第15代将軍 足利義昭が織田信長により京から追放された政変(室町幕府の事実上の滅亡)からは446年、そして、平成の御代としては最後の年となる本年・平成31年の年頭に当り、このブログを読んで下さる全ての読者の皆様方の御健勝・御繁栄を、心より祈念申し上げます。

昔から、大河ドラマ化・映画化・漫画化・小説化・ゲーム化等される機会が多い戦国時代や幕末などの派手な群雄割拠の時代に比べると、鎌倉時代や南北朝時代、そして、室町時代の前期から中期にかけての時代は、“傑出した英雄が不在な地味な時代”というイメージを持たれてしまう事が多く、いまいち人気がありませんでしたが、ここ最近は、これらの時代もかなり注目されるようになり、実際、近年はこれらの時代に焦点を当てた書籍の出版も相次いでおり、地味とされてきたこれらの時代をずっと注目してきた私としては嬉しい限りです。
本年も、更にもっと多くの人達が鎌倉時代・南北朝時代・室町時代などに興味・関心を持ってくれるようになる事を、密かに強く祈念致します(笑)。

このブログを開設して、当月で丁度6年が経ちました。
更新は怠りがちで、内容的にもまだ拙く未成熟なブログですが、読者の皆様方に於かれましては本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

皇紀2679年 仏暦2562年 西暦2019年
元旦


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楠木正成・大河ドラマ誘致協の活動が広がりを見せています

特に関西などを中心に「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている、鎌倉時代末期や南北朝時代に南朝方の有力武将として活躍した楠木正成と、その嫡男である正行(まさつら)の2人を主人公にしてNHK大河ドラマ化の実現を目指す、自治体で作る誘致協議会が、ここ最近、着実な広がりをみせています。

この誘致協議会に会員として入会している自治体は近畿圏が中心で、現在のところ、京都市・神戸市・大阪市・堺市など関西の政令指定都市全てを含む5府県35市町村が加盟しており、今月16日には、誘致協議会の会長である島田智明 河内長野市長が、阪口伸六 高石市長(府市長会会長)や、松本昌親 千早赤阪村長(府町村長会会長)達と共に、門川大作 京都市長を表敬訪問し、楠木親子の大河ドラマ化についての意見交換も行っています。

広がる「楠木正成・大河ドラマ誘致協」

誘致協議会は、今年4月に25市町村で発足し、最近では近畿以外の自治体にも広がりを見せ、鳥取県大山町なども参加するなどしていました。この勢いを更に拡大させるため、また、太平記には「隠岐から脱出されて鎌倉幕府を倒された後醍醐天皇は、楠木正成の先導で京都へ御帰還された」といった内容が記されており京都は正成を語るうえで欠かせない場所のひとつとされている事から、誘致協議会は京都市へも参加を呼びかけていました。

そして、その呼びかけに応じる形で、9月下旬に誘致協議会への京都市の加入が決まり、前述の京都市への表敬訪問は、それを踏まえた上での返礼として行われたのでした。
報道によると、会長である島田 河内長野市長は、「京都は日本の歴史を語るうえで欠かせない。京都市が入ってくれた事でますます大河(ドラマ化実現)に近づいた」と述べて、大河ドラマ実現への期待を寄せ、門川 京都市長も、「子供の頃に楠木正成の本を読み、強烈な印象が残っている。今の日本を作った先人をしっかりと学んで未来に生かしていく、さらに地域振興に生かす事は非常に大事。しっかりと連携し(大河ドラマ化実現に)取り組んでいきたい」と語り、大河ドラマ実現に向けて協力する姿勢を示しました。

楠木正成・正行が実際に歴史の表舞台で活躍したのは、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけてのごく短い期間だけですから、私の個人的な所感としては、1年間にも及ぶ長期の大河ドラマでその二人の生涯だけを描いていくのは、ちょっと長過ぎるのではないか、ドラマとして何となく間延びしてしまわないかな、という懸念が正直無くはありませんが、その反面、楠木正成・正行がドラマでどのように描かれ活躍するのか見てみたい、という期待感も勿論あります。
私としては、以前民放で毎年年末に放送されていた、12時間ぶっ続けの「年末時代劇スペシャル」などの枠で放送されると、短かすぎず長すぎずで丁度いいのかな、という気もします。もっとも、今はもう、その枠も番組もありませんが…。


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平成二十九年の年頭挨拶

新年おめでとうございます。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。

このブログ「この世は夢のごとくに候」で今まで度々取り上げてきた足利尊氏の生誕からは712年、後醍醐天皇による建武の新政(建武中興)からは683年、建武式目制定(室町幕府の成立)からは681年、南北朝の合一(南北朝時代の終わり)からは625年、応仁の乱発生からは550年、将軍足利義昭追放(室町幕府の事実上の滅亡)からは444年となる本年の年頭に当り、このブログを読んで下さる全ての読者の皆様方の御健勝・御繁栄を、心より祈念申し上げます。

また、大河ドラマ化、映画化、漫画化等される機会が多い戦国時代や幕末などに比べると、昔からいまいち人気が無い、鎌倉時代や南北朝時代、そして、室町時代の前期から中期にかけての時代に、もっと多くの人達が興味・関心を持ってくれるようになる事も、併せて、本年も密かに祈念致します(笑)。

このブログを開設して、当月で丁度4年が経ちました。
更新は怠りがちで、内容的にもまだ拙く未成熟なブログですが、読者の皆様方に於かれましては本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

皇紀2677年 仏暦2560年 西暦2017年
元旦


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熊本・大分両県での地震災害お見舞い

今月14日に発生し、今なお依然として強い余震が続いている「熊本地震」によって被災された皆様方に、謹んでお見舞いを申し上げます。

今回の熊本地震は、気象庁が昭和24年に「震度7」の震度階級を設定してからは、平成23年に発生したあの東日本大震災(地震名は東北地方太平洋沖地震)に続いて国内では4回目、九州では初となる最大震度7の激震でした。
活断層が引き起こしたマグニチュード7.3の直下地震である点、木造家屋に大きな被害を出しやすい周期1~2秒のパルス状の揺れが強い点など、平成7年に発生した阪神・淡路大震災(地震名は兵庫県南部地震)とよく似た地震で、この度は熊本・大分両県を中心に九州北部の広範囲に亘って各地に大きな被害をもたらしました。
倒壊した住宅の下敷きになったり土砂崩れに巻き込まれるなどして、大変残念な事に、現在までに40名以上もの死亡が確認されています。避難所での病死等の関連死も含めると、死者の数はもっと多くなります。
お亡くなりになられた方々の御霊の安らかならん事を、衷心よりお祈り申し上げます…。


なお、宮内庁のホームページによると、天皇皇后両陛下は発災翌日の15日、熊本県の蒲島郁夫知事に対して、被害についてのお見舞いのお気持ち、災害対策に従事している関係者に対するお労いのお気持ち、被災者の健康を御祈念するお気持ちを、侍従長を通じてお伝えになられました。以下(鉤括弧内緑文字)がその全文です。
天皇皇后両陛下には、昨夜の熊本県を震源とする大地震により、多数の死傷者、避難者が発生するなど県民生活に大きな被害が生じていることに大変お心を痛められ、犠牲者に対するお悼みと被害を被った人々へのお見舞いのお気持ち、並びに災害対策に従事している関係者に対するおねぎらいのお気持ちを知事にお伝えするようにとの御意向でした。まだまだ、朝夕寒い季節であるので被災者をはじめ人々の健康を祈っておられます。以上、謹んでお伝えします。

歴史的にみても、天皇陛下は、一時の例外を除きほぼ常に、世俗的な権力とは無縁で、権力よりも上位に君臨する宗教的な最高権威、つまり、公正無私な祭祀王として只管“国の平安と国民の安寧を祈る”という超越的な御存在であり、その伝統は今も変わる事なく連綿と続いている、という事がよく分かる事例です。
このブログで度々取り上げている南北朝期の後醍醐天皇は、中世以降の歴代天皇としては珍しく、政治的な権力と宗教的な権威の両方を兼ね備えた天皇でありましたが。

ちなみに、念のために一応補足しておくと、両陛下が15日に熊本県の知事にだけお気持ちをお伝えになられたのは、その時点ではまだ、大分県など他県での被害はほとんど報告されていなかったためです。


ところで、熊本・大分両県では、この度の地震により伝統的建築物や歴史的文化財等も大きな被害を受けました。
国の特別史跡でもある熊本城では、全国ニュースでも既に大きく報じられているように、天守閣の屋根瓦が崩れたり、屋根の上にあったしゃちほこが落下したり、石垣もいくつかの場所で崩れたり、更に、築城当初から残っていた重要文化財の東十八間櫓・北十八間櫓が倒壊して隣の熊本大神宮の社務所を押し潰すなどしました。
また、肥後国一宮で旧官幣大社の阿蘇神社(熊本県阿蘇市)でも、重要文化財の楼門と拝殿が全壊し、大分県でも、岡城跡(竹田市)、岡藩主中川家墓所(竹田市)、旧竹田荘(竹田市)、角牟礼城跡(玖珠町)、鬼の岩屋古墳(別府市)などで一部に亀裂やズレが生じるなどの被害が発生しました。

私は一昨年1月20日の記事「南朝の天皇・皇族・武将をお祀りする神社」の中で、建武中興十五社会の神社を紹介させて頂きましたが、その15社のうち、後醍醐天皇の皇子で九州に於ける南朝方の全盛期を築いた懐良親王をお祀りする「八代宮」(熊本県八代市松江城町)と、後醍醐天皇の綸旨を受けて鎌倉幕府の鎮西探題を襲撃するもののその戦で敗れて討たれてしまった菊池武時などをお祀りする「菊池神社」(熊本県菊池市大字隈府)の2社は、いずれも九州、しかも、今回の地震で特に大きく被災した熊本県内に鎮座しております。
この2社のうち、八代宮の被害状況は現時点ではまだ不明ですが、菊池神社については、電子掲示板「神道青年全国協議会 災害対策掲示板」への書き込みによると、倒壊まではいかないものの社殿に酷い歪みが生じているとの事です。

これ以上犠牲者が増える事のないようにという事と、大変困難な状況に陥る事を余儀なくされた被災者の皆様方の一日も早い生活の再建、そして、この記事で取り上げた史跡や神社仏閣のみならず被災地の各所が一刻も早く復旧・復興されます事を、改めて心より御祈念させて頂きます。


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新年の年頭挨拶

新年おめでとうございます。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。

建武の新政(建武中興)から681年、建武式目制定(室町幕府成立)から679年、南北朝の合一から623年、応仁の乱発生から548年、将軍足利義昭追放(室町幕府滅亡)から442年の年頭に当り、このブログ「この世は夢のごとくに候」を読んで下さる全ての読者の皆様方の御健勝・御繁栄を、心より祈念申し上げます。
また、大河ドラマ化、映画化等される機会も多い戦国時代や幕末などに比べると昔からいまいち人気が無い鎌倉時代・南北朝時代・室町時代に、もっと多くの人達が興味・関心を持ってくれるようになる事も、併せて、密かに祈念致します(笑)。

このブログを開設して、当月で丁度2年が経ちました。
更新は怠りがちで、内容的にもまだ拙く未成熟なブログですが、読者の皆様方に於かれましては本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

皇紀2675年 仏暦2558年 西暦2015年
元旦


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全国足利氏ゆかりの会

本年1月20日の記事では、南朝の天皇・皇族・武将をお祀りする全国各地の神社15社から構成される「建武中興十五社会」という団体を紹介させて頂きましたが、その北朝版というわけではないものの(そもそも、建武中興十五社会のように、特定の時代の人物所縁の神社のみに限定した団体ではないので、北朝版などと言い切ってしまうのはやや乱暴ですが)、足利氏所縁の団体から構成される「全国足利氏ゆかりの会」という団体があります。

全国足利氏ゆかりの会

建武中興十五社会は、その設立目的を「後醍醐天皇を御祭神とする吉野神宮をはじめ、建武中興関係の十五神社が相諮り、建武中興の精神を体して、わが国体の発揚に尽瘁すること」としていますが、全国足利氏ゆかりの会は、同会のホームページに掲載されている会長(足利市長)挨拶によると、「足利氏ゆかりの市町村や関係団体及び社寺等がともに手を携える」事を目的に昭和61年に設立され、「現在まで会員各位のご努力と連携活動によって、足利氏の顕彰とゆかりの地の発展に貢献」し、「今後も、本会は足利氏の残した偉大な業績を称えながら、会員間の交流と連携の輪を広げ、足利氏に対する正しい認識のための広報活動と更なるイメージアップのための諸活動を進めてまいります」との事です。
同会では、「足利氏は、清和源氏の流れをくみ、日本文化の代表である能や茶道などの文化を築き、全国各地にその偉業を残すとともに歴史にその足跡を印しています」と、足利氏を高く評価しています。

現在、同会の特別顧問には足利家第28代当主の足利義弘氏が、顧問には京都府の山田啓二知事と京都市の門川大作市長が、会長には栃木県足利市の和泉市長が、副会長には京都府綾部市の山崎善也市長と徳島県阿南市の岩浅嘉仁市長らが、それぞれ就任しています。
同会では毎年各地で総会を開催し、その際には地元会員寺院等で追善法要も執り行っており、昨年度(平成25年度)は京都市内の「京都ロイヤルホテル&スパ」で総会が開催され、臨済宗相国寺派大本山相国寺方丈で足利氏歴代の追善法要が営まれました。その法要の後、会員達は西山浄土宗十念寺を訪れ、同寺にある第6代将軍足利義教の墓所も参拝したそうです。
なお、今年度の総会開催地は、栃木県さくら市との事です。

以下は、全国足利氏ゆかりの会に入会している会員一覧です。
関東から九州に至るまでの各地の自治体、商工会議所、観光協会、神社仏閣など約60の団体によって構成されており、会としての活動も活発なようです(具体的な活動内容については同会のホームページを御参照下さい)。


◆茨城県
古河市、古河商工会議所(古河市)、古河市観光協会(古河市)
 
◆栃木県
さくら市、喜連川観光協会(さくら市)、龍光寺(さくら市)、安國寺(下野市)、足利市、足利商工会議所(足利市)、足利市観光協会(足利市)、鑁阿寺(足利市)、吉祥寺(足利市)、樺崎八幡宮(足利市)、法楽寺(足利市)、法玄寺(足利市)、能仁寺(真岡市)、下野國一社八幡宮(足利市)  
 
◆埼玉県
寳聚寺(久喜市)    
 
◆千葉県
飯香岡八幡宮(市原市)    
 
◆東京都
高安寺(府中市)    
 
◆神奈川県
鎌倉市、鎌倉商工会議所(鎌倉市)、浄妙寺(鎌倉市)、浄光明寺(鎌倉市)    
 
◆長野県
桃源院(佐久市)    
 
◆愛知県
長母寺(名古屋市)    
 
◆福井県
全国安国寺会(小浜市)    
 
◆滋賀県
安楽寺(長浜市)    
 
◆京都府
京都商工会議所(京都市)、京都市観光協会(京都市)、京都室町の会(京都市)、六孫王神社(京都市)、法界寺(京都市)、等持院(京都市)、相國寺(京都市)、鹿苑寺〈金閣寺〉(京都市)、慈照寺〈銀閣寺〉(京都市)、亀岡市、亀岡商工会議所(亀岡市)、亀岡市観光協会(亀岡市)、篠村八幡宮(亀岡市)、綾部市、綾部商工会議所(綾部市)、綾部市観光協会(綾部市)、綾部あしかが会(綾部市)、安国寺総代会(綾部市)、相光寺(京丹後市)    
 
◆兵庫県
川西市商工会(川西市)、川西市観光協会(川西市)、石龕寺(丹波市)、福海寺(神戸市)  
 
◆広島県
福山商工会議所(福山市)、尾道市、尾道商工会議所(尾道市)、浄土寺(尾道市)、尾道足利氏ゆかりの会、足利ゆかりの会(広島市)
 
◆徳島県
阿南市、那賀川町商工会(阿南市)、西光寺(阿南市)、地蔵寺(小松島市)    
 
◆大分県
豊後安國寺(国東市)   
 
全国足利氏ゆかりの会


この会員一覧を見ますと、本年3月5日の記事で紹介した、千葉県市原市に鎮座する飯香岡八幡宮も、足利氏所縁の神社として同会に入会されています。

しかし、昨年10月2日の記事で紹介した、京都府八幡市に鎮座する石清水八幡宮は、当該記事で詳述したように足利将軍家とはかなり深い関係を持っていたにも拘わらず、全国足利氏ゆかりの会には入会していないようです。
これはあくまでも私の勝手な推測ですが、石清水八幡宮は、武門の神様として、足利氏以外の源氏一門や、その他の有力武将達(豊臣秀吉、織田信長など)からも篤く崇敬され、また、時代を問わず朝廷からも深く崇敬されてきたので(同宮への天皇や上皇の行幸・御幸は、第64代円融天皇の御参拝以来実に240回にも及んでいます)、同宮としては別に足利氏との深い関係を隠したり否定したりする気は全くないものの、だからとって、殊更足利氏との関係だけを強調したいというわけではないのかもしれません。
後醍醐天皇も行幸されたり、楠木正成も境内にクスノキを植えるなど、そもそも同宮は、足利氏とは対立した南朝勢力とも浅からぬ関係があったようですし。


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ブログを開設致しました

主に、太平記(古典の太平記だけでなく小説・マンガ・大河ドラマなども含む)、神皇正統記、梅松論、鎌倉時代末期、南北朝時代、室町時代、南朝、北朝、室町幕府、足利将軍家、関東公方足利家、関東管領等についての考察や雑記をアップするため、このブログを開設しました。
ブログタイトルの「この世は夢のごとくに候」は、足利尊氏が1336年8月17日に清水寺に納めた願文の一文(画像として下に貼付している文書の1行目)から拝借しました。

足利尊氏自筆清水寺奉納願文

一応簡単に自己紹介しますと、私は、生まれも育ちも北海道札幌市(但し一時期、東京や京都に住んでいた事があります)で、職業は、某団体(法人)職員です。
趣味は、旅行、神社仏閣巡り、旅行、写真、読書、ブログやSNSの更新などです。日本史(特に中世史と幕末)、鉄道、航空機なども好きです。
ちなみに、私は平成15年に、歴史能力検定3級日本史の試験に合格しているので、私の日本史に関する知識は概ねその程度(高校で学ぶ程度の基礎的な歴史知識)だと思います。

なお、私は普段、年を表記する際には西暦ではなく年号を主に用いているのですが、南北朝時代は北朝と南朝とで異なる年号を使っている事から混乱を避けるため、このブログでは、特定の年を指す場合、江戸時代までの年については原則として年号ではなく西暦を使う事とします。
但し、明治元年以降については、年号(明治・大正・昭和・平成)のほうが馴染みが深いため、西暦ではなく年号を使う事とします。 

浅学非才の身故、かなり拙いブログになるかとは思いますが、今後もこのブログにお付き合いの程、どうか宜しくお願い致します。


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