この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

動画・番組

最近は私も「Stay Home」で南北朝時代や室町時代を楽しんでいます

先ず以て、現在世界各国及び日本全国で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって亡くなられた方々の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。
そして、同感染症に罹患し現在も治療を受けておられる方々や、同感染症の感染拡大によって生活に多大な影響を受けておらる方々に、心からお見舞い申し上げます。


それにしても、新型コロナウイルス感染症の拡大と、それに伴う経済活動の縮小・自粛の流れ、止りませんね…。
法的な強制力や罰則こそないものの、現在政府や各都道府県知事は私達国民に対して、これ以上の感染拡大を阻止するため不要不急の外出自粛を、所謂「Stay Home」を、強く要請しており、そのためここ数日間大人しくずっと家に籠ってストレスが溜まっている、という方も少なくはないと思います。
その一方で、この機会を利用して、まだ未読だった本を何冊もまとめて読んだり、まだ見ていなかったDVDや未視聴だった録画済の番組を一気に見ている、という方も多くいらっしゃるでしょう。実際、本やDVDなどの売り上げは最近伸びているみたいですし。

私の場合、仕事は在宅勤務にはなっておらず、今も平常通り毎日職場に出社しているため(そもそも在宅勤務出来ない仕事なんて世間には山ほどあり、誤解を恐れずに言えば、在宅勤務が出来る環境の人は恵まれているとも思います)、家にいる時間が格段に多くなったというわけではありませんが、ただ、帰宅した後の時間や休みの日などに外出する機会は時節柄当然減ったため、今までに比べるとやはり家にいる時間は多くなりました。
そのため私も、主に深夜や早朝などになりますが、最近は今まで以上に読書をしたりDVDを見るなどしています。


以下の写真4枚はいずれも、私がここ10年程で購入した、南北朝時代や室町時代に関する書籍です。まだあると思いますが、とりあえず目についたものだけをズラっと並べてみました。御覧のように、専門書はほぼ無く入門書ばかりですが(笑)。コミックや児童書もあります。
これらの本の中にもまだ未読の本が少なからずあるので、最近ぼちぼち読んでいます。

図書_01

図書_02

図書_03

図書_04


昨年12月12日付の記事で詳述したように、私は昨年、NHK大河ドラマ「太平記」完全版のDVDを購入したのですが、最近はそのDVDも何回か見ています。いやぁ、この作品、本当に面白いですね!
以下の画像4枚はいずれもこの作品に関するもので、1枚目はこのDVDのパッケージ、2枚目は作中の主要な登場人物達の相関図、3枚目は主要な登場人物達の集合写真、4枚目は足利家の人達を演じた役者さん達の写真です。

DVD「太平記」完全版

大河ドラマ「太平記」登場人物 相関図

大河ドラマ「太平記」 主要登場人物 記念撮影

大河ドラマ「太平記」 足利家主要人物


戦国時代や幕末などの関係書籍に比べるとまだまだ少ないですが、それでも近年は、「応仁の乱」や「観応の擾乱」関係の書籍がヒットするなど、空前の室町時代ブームが到来しています。今後、更に室町時代関係の書籍やDVDなどが増える事を期待しています!

南北朝時代や室町時代は、大きな戦乱が多く(室町時代後期は戦国時代と云われるくらいですし)、時には飢饉や疫病も流行するなど、非常に多難な時代でしたが、そういった意味では、戦乱や飢饉こそ無いものの疫病がここまで世間を混乱させている現在も、かなり多難な時代といえます。
大変ささやかながら、新型コロナウイルス感染症に感染して現在治療を受け闘病されている方々の平癒と、同感染症が一日も早く鎮静化し全ての人達に平穏な日々が戻ります事を、国民が一丸となってこの多難を乗り越える事が出来ますよう、改めて心より祈念申し上げます。


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伝説の霊獣「麒麟」(きりん)

4回連続でまた大河ドラマの話題となり恐縮ですが、先月から放送が始まった、室町時代末期(戦国時代)を舞台とした本年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」、今のところ視聴率もかなり高いようで、結構話題になっていますね。毎週放送される度に、ネットニュースでも「麒麟がくる」の内容や登場している俳優の話題が取り上げられていますし。
現時点ではまだ4話までしか放送されていないものの、好評のため、1~3話までが連続して再放送されたりもしましたがこれも異例の事のようです。

私個人としては、第2話のラストで斎藤道三が、実態は兎も角建前としては主君であるはずの(しかも娘婿でもある)土岐頼純を毒殺するシーンが、特に印象に残りました。
毒殺した側の道三を演じた本木雅弘さんと、毒殺された側の頼純を演じた矢野聖人さん、双方の熱演・怪演は鬼気迫るものがあり、「さすがプロの役者さんだな!」と大いに感心させられました。
「麒麟がくる」序盤の現在は、主人公である光秀は特にまだ目立った活躍はしておらず、実質、道三が主人公みたいな感じですね(笑)。

本木雅弘さんが演じる斎藤道三


以下の写真2枚は、昨年8月に私が九州(福岡市・熊本市太宰府市など)を旅行した際にお参りした太宰府天満宮の境内で撮影した「麒麟(きりん)」の像です。
本年の大河ドラマ「麒麟がくる」のタイトルにもなっている、仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の霊獣「麒麟」は、これの事です。何となく、西洋の霊獣「ユニコーン」にも似ています。

太宰府天満宮の麒麟の像_01

太宰府天満宮の麒麟の像_02

実在の動物のキリンは、この霊獣「麒麟」に似ている事から、そう呼ばれるようになったそうです。ちなみに、東洋に於ける伝説の霊獣としては、麒麟の他には、霊鳥の「鳳凰(ほうおう)」が有名です。
現在、一般に広く普及している本将棋(古式でいう小将棋)には存在しませんが、古式将棋である「中将棋」や「大将棋」には、「麒麟」や「鳳凰」などの駒も存在します。


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本年の大河ドラマには、剣豪将軍として知られる足利義輝が登場します!

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」

今月19日から放送が始まった、本年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第1話、早速見ました。

第59作となる今回の大河ドラマの主人公である明智光秀に対しては、正直なところ、個人的に特にこれといった思い入れはありませんが(光秀の事は別に好きでも嫌いでもありません)、私が昔から強い関心を抱いていた室町幕府第13代将軍 足利義輝が本年の大河に登場するらしいと知ったので、義輝が大河の中でどのように描かれるのかが楽しみで、まずは第1話を見てみました。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 明智光秀


義輝は、少し前までは、同時代に綺羅星の如く存在する数多くの有名な戦国武将達の影に隠れて、影の薄いマイナーな存在でしたが(最後の室町幕府将軍 足利義昭よりもマイナーでした)、近年は、歴史ゲームや歴史小説などの影響なのか、「将軍としての権力は極めて脆弱だったものの、ひとりの武士としては剣技を極めた、メチャメチャ強かった剣豪将軍」「歴代の征夷大将軍の中でも、類例を見ない程の壮絶な最期を遂げた悲運の将軍」として、若い世代にも知られています。
ただ、今回の第1話には、向井理さんが演じるその義輝は登場しませんでした。第2話以降には登場するそうなので、個人的には期待しています♪

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 足利義輝
向井理さんが演じる足利義輝_01
向井理さんが演じる足利義輝_02


足利将軍としては、今回の大河には、義輝の他に義昭も登場するそうです。というか、主人公・光秀との関係性で考えるなら、今回のドラマに於けるメインキャラは、むしろ義輝ではなく義昭のほうですよね。光秀は、信長に仕える前は義昭の家臣でしたから。
ちなみに、義昭は、個人的には昔からどうしても好きにはなれない人物です(笑)。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 足利義昭


で、とりあえず、「麒麟がくる」の第1話を見た感想ですが、私としては、面白かったです。
この第1話に対して、ネットなどでは賛否両論があったようですが、私は、大河ドラマはあくまでもフィクションであり、娯楽時代劇として楽しむものと認識していますから、厳密な時代考証や風俗考証などをも求めるのは「そもそも野暮ってものでしょう」と思っています。
厳密な考証に基づく歴史ドラマを作成するのであれば、あくまでも、幾多の議論を経て定説として完全に定着している一次資料のみに忠実なドラマを作るべきですが、そんなドラマは、多分堅苦しくてつまらないでしょうしね(笑)。

今回の大河ドラマ、フィクションの割には、
「土岐氏からの美濃奪取は、斎藤道三 一代によるものではなく、斎藤親子二代により成されたもの」
「濃姫にとって、信長との結婚は再婚で、濃姫はその前に一旦土岐家に嫁いでいた」
などの、最新の研究成果が設定やストーリーにも採り入れられていて、そういった所も興味深かったです。

あと、延暦寺の僧兵達が、関所で通行人に暴力を振るうなどのシーンもありましたが、あれは恐らく、歴史的な大事件として知られるあの「比叡山焼き討ち」への伏線なのでしょうね。
比叡山の焼き討ちを命令したのは信長ですが、現地での実働部隊としてその中心的な役割を果たしたのは光秀ですし、その事後処理も光秀が一任されていますから。

最終話まで見るかどうかはまだ分りませんが、とりあえず、義輝が壮絶な最期を遂げる「永禄の変」までは、本年の大河、毎週見てみようと思います。


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大河ドラマ新作の主人公が、鎌倉幕府第2代執権の北条義時になると発表されました

2年後の令和4年に放送される、第61作となるNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」というタイトルの作品となる事が、先日NHKから発表されました。
作品の詳細な内容はまだ不明ですが、主人公は、鎌倉幕府第2代の執権で北条得宗家の祖となった北条義時(下の画像は彼の肖像画)、その義時役は俳優の小栗旬さんが演じ、脚本は、「新選組!」と「真田丸」に次いで大河ドラマ3作目となる三谷幸喜さんが担当する事なども、併せて発表されました。

ちなみに、タイトル中の「13人」とは、初代の「鎌倉殿」(鎌倉幕府将軍)であった源頼朝の没後に発足した、2代目の鎌倉殿である源頼家の政権下での、集団指導体制「十三人の合議制」を構成した御家人達(義時も含まれます)を指しているそうです。
まぁ、結局その集団指導体制は、何だかんだであっという間に崩壊する事になるわけですが…。

北条義時


世間一般には、義時よりも、義時の父である北条時政(まだ一介の流人に過ぎなかった頼朝に賭けて平氏政権に反旗を翻し、頼朝最大の後援者として鎌倉幕府の成立に尽力し、幕府成立後は初代執権に就任)や、義時の姉である北条政子(頼朝の正室で、頼朝亡き後は落飾して「尼将軍」と称され、義時と共に幕政の実権を握った)のほうが知名度が高い気もしますが、あえて義時をドラマの主人公にするという事は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての大変革期(動乱)の時代が、義時からの目線で、恐らく、ほぼ1年かけて丁寧に描かれる事になるのでしょう。
という事は、まだどうなるかは分りませんが多分、ドラマ前半のハイライトは、以仁王の挙兵から壇ノ浦で平氏が滅亡するまでの所謂「源平の合戦」、ドラマ中盤のハイライトは、幕府成立後の頼朝による独裁政治(義経が討たれる所も含めて)と、頼朝没後に幕府内で行われたドロドロの権力闘争(北条氏が他の有力御家人達を粛正して幕府の実権を完全に掌握する様や、北条氏一門内でも対立が生じ時政が失脚する様など)、そして後半のハイライトは、後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げて後に “主上御謀叛” とされた「承久の乱」、という感じでしょうか。

昨年放送された大河ドラマ「いだてん」は珍しく違いましたし、過去作の一部(草燃える、太平記、北条時宗、平清盛など)にも違うものはありましたが、そういった一部の例外を除くとNHKの大河ドラマは、時代設定が「戦国時代」もしくは「幕末」のふたつの時代にほぼずっと固定されていましたから、鎌倉時代や南北朝時代など他の時代も好きな私にとって、今回発表された新作大河「鎌倉殿の13人」の放送は、今から楽しみです!

個人的にも、北条義時という人物は、昔から「ずっと気になっていた人」でした。好感の持てる人物かどうかと問われると、ちょっと微妙ではありますが(笑)。
北条政子が事実上の主人公だった、昭和54年の大河ドラマ「草燃える」(古い作品なのでさすがに私もオンエアでは見ておらず、総集編のビデオでしか見た事ありませんが)で、松平健さんの演じた北条義時が、私の中では今でも強烈に印象に残っています。
当初は、伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎず、性格も純朴で涙もろいおぼっちゃんだった義時が、権謀術数の限りを尽くして政敵を次々と追い落としていく冷徹な政治家へと変貌していき、幕府の事実上のトップに立って朝廷をも完全に制圧し、北条氏による独裁政権を築いていく様は、なかなか興味深く見応えがありました。
まぁ、一個人として性格が良かったかどうかは兎も角(笑)、義時が日本の歴史上屈指の有能な政治家・武将のひとりであった事は、間違い無いでしょうね。


義時以外にも、鎌倉幕府を支えた歴代の執権には有能な人物が多く、例えば、鎌倉幕府の基本法にして日本最初の武家法「御成敗式目」を制定し、人格的にも優れ武家・公家の双方から人望が厚かったと伝わる第3代執権で第2代得宗の北条泰時や、政敵を容赦なく潰して執権権力を着々と強化していく一方で、政敵ではない御家人達や一般民衆に対しては徹底した善政を敷いた事で後世にまで名君として伝わり、能の「鉢の木」のエピソード(廻国伝説)などでも語り継がれていった第5代執権で第4代得宗の北条時頼、得宗権力の更なる強化を図る一方で、元寇(当時世界最大の帝国であったモンゴル帝国による日本侵略)に対峙し二度に亘る元寇を退けた事で “日本の国難を救った英雄” と評された第8代執権で第5代得宗の北条時宗などは、現在も名執権として高く評価されていますが、彼らがその能力を存分に発揮出来る下地を作り上げたのは、第2代執権で得宗家の祖となった義時であったともいえます。
義時の時代に、執権が、将軍の単なる補佐役ではなく、幕府最高権力者の地位である事が確定し、更に、武家政権である幕府が公家政権である朝廷に対しても支配的な地位を持ち、幕府が事実上の全国統一政権となったわけですから。

もっとも、義時が「彼らがその能力を存分に発揮出来る下地を作り上げた」を成し得たのは、義時の父である時政が、義時に先んじてそもそもの下地を作りあげた(伊豆の一豪族に過ぎなかった北条氏を、時政が一代で、他の有力御家人達と肩を並べる幕府有力者の地位にまで高めた)事によってもたらされた成果とも言えます。
平清盛を首班とする平氏政権が全盛だったあの時代に、頼朝に賭けて平氏政権に反旗を翻したのは、時政に時勢を察知しうる優れた先見性があったからであり、時政のそういった点については、十分に評価されて良いと思います。そもそも、時政の活躍がなければ、義時が世に出る事も先ずなかったでしょう。
しかし、時政が築き上げた北条氏の権力基盤を、更に絶対的なものへと昇華させたのは、義時です。鎌倉幕府が「承久の乱」に勝利して事実上の全国統一政権になったのは、明らかに義時の手腕に因る所が大きいです。

しかも時政は、晩年、若い後妻である牧の方と共謀して(というより、首謀者はむしろ牧の方?)、畠山重忠謀殺や源実朝暗殺未遂などに関わる事となり、そのため最終的には息子である義時と娘である政子から見限られて幕府から追放され、寂しく生涯を閉じており、“晩節を汚した” という印象が否めません。
北条一門の子孫達も、「得宗家の初代は義時」と認識し、時政の存在はほぼ無視しており、清廉で知られた第3代執権の北条泰時も、頼朝・政子・義時らを幕府の祖廟として事ある毎に参詣し、彼らに対する仏事は欠かさなかったにも拘わらず、時政に対しては「牧氏事件で実朝を殺害しようとした謀反人」であるとして仏事を行わなかった、と伝わっています。
そう考えると、義時の父・時政は、自業自得とはいえ、少し可哀そうな人ではありますね…。


北条氏 略系図


ところで、朝廷と対決した人物というのは、日本の歴史上、義時以外にも何人かいます。天皇もしくは上皇から追討の勅が下されて正式に「朝敵」と認定され人物として、特に代表的な人物を挙げると、例えば義時以外では以下のような人達がいます。

藤原仲麻呂 (恵美押勝の乱を起こして孝謙上皇から政権奪取を企むも、官軍に敗れて敗死)
平将門 (朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し東国の独立を標榜した事により朝敵とされ、 討伐された)
源頼朝 (兄である頼朝と対立した義経が、後白河上皇に頼朝追討の院宣を迫り出させるが、頼朝の圧倒的な優勢により、上皇は直ぐにその院宣を取り消した)
源義経 (自分への追討の院宣を取り消させた頼朝が、逆に義経追討の院宣を出させた)
北条高時 (後醍醐天皇により朝敵とされ、一族とともに自害して果て、鎌倉幕府は滅亡するものの、後に遺児である北条時行が南朝に帰参したため、死後に朝敵を赦免された)
北条時行 (鎌倉幕府再興を掲げて「中先代の乱」を起こして建武政権と対峙したため、後醍醐天皇から朝敵とされたが、後に南朝に帰参したため、朝敵を赦免された)
楠木正成 (南北朝の戦いは北朝の勝利で終わったため、北朝や足利氏との戦いで討死した者達は正成も含め全て朝敵とされたが、永禄2年、正成の子孫を称する楠木正虎の嘆願により、正親町天皇から勅免が下され、正成は正式に朝敵から外された)
武田勝頼 (織田信長が朝廷を動かして、武田家当主の勝頼を朝敵とした)
徳川慶喜 (薩長らの倒幕勢力が朝廷を動かして慶喜追討令を出させるが、慶喜本人は朝廷への徹底恭順を示したため、後に赦免され、明治維新後、名誉を回復して従一位勲一等公爵、貴族院議員などになった)

しかし、朝廷と対決し「朝敵」という不名誉な烙印を押されてしまったこれらの人物(実際にはもっといますけど)の中で、実際に朝廷を完全に敗北させてしまった武将(実質、朝廷を倒してしまった人物)は、日本の歴史上、義時ただひとりです。
しかも追討の勅というのは、少なくとも中世以降は、朝廷の強い意思によって出される事は稀で、ほとんどの場合、時の有力な権力者が政敵を討伐する口実が必要になった時、保護下にある朝廷から引き出す形で下されたのですが、義時追討令だけは、朝廷(後鳥羽上皇)の強い意志によって出されており、それだけに、朝廷主導のその義時追討が失敗し、それによって、鎌倉幕府が京都の朝廷を出し抜いて全国的な統一政権となり、以後、武家政権が全国を支配するという政治体制が、建武の新政などの一時期の中断を除いてほぼ途切れる事なくずっと、江戸幕府が崩壊するまで続く事になるわけですから、その歴史的な意味は極めて大きいものがあります。

そして、そういった事も踏まえて考えると、前述の「一個人として性格が良かったかどうか」なんてのは、歴史上の人物の偉業を論じる際には、別にどうでもよい事なのかもしれません。
そもそも性格の話なんかをしだしたら、日本史の偉人の中で絶大な知名度を誇る源頼朝、足利義満、織田信長、晩年の豊臣秀吉なども、もし自分の身近にいたとしたら、多分あまり近づきたくはないタイプですからね(笑)。

ちなみに、歴史学者の細川重男さんは、義時について、「義時の生涯は降りかかる災難に振り回され続けた一生であった。その中で自分の身と親族を守るために戦い続けた結果、最高権力者になってしまった」 「頼朝の挙兵がなければ、一介の東国武士として一生を終えたであろう」などと評しており、個人的には、こういった評価もなかなか興味深いです。
「鎌倉殿の13人」で、その義時がどのように描かれるのか、今からとても楽しみです♪


ところで、NHKからの今回の発表を受けて、鎌倉市の松尾崇市長は、以下のように喜びのコメントを発表しています。
「鎌倉幕府の礎を築いた北条義時公が主人公となった事を大変喜ばしく思っています。また、三谷幸喜氏作と聞いており、今からとても楽しみです。今後、本市としても大河ドラマの放映と連動した取り組みを進め、鎌倉が育む歴史文化の魅力発信やシティープロモーションにつなげて参りたいと考えています。」

それに対して、小田原市の加藤憲一市長は、NHKからのこの度の発表を受けて「率直に、がっくりきた」と、露骨に失望感をあらわにしたコメントを発表しています。
小田原市は、昨年までの2年間、小田原北条氏5代、所謂「後北条」の初代である伊勢宗瑞(北条早雲)の没後500年に合わせた顕彰事業を展開しており、その一環として、所縁の市町と共に後北条氏5代を大河ドラマに取り上げるよう要望活動にも取り組んできただけに、同じ県内が舞台で、しかも同じ「北条」が選ばれた事がショックだったようで、報道によると小田原市の関係者達からは、「手応えを感じ、期待していただけに残念」「同じ北条姓で、後北条は先送りになるのではないか」「落胆せずに、また粘り強く活動していく」などの声が出ているそうです。

今回の件で、鎌倉市と小田原市が示した反応は正反対で、まさに “大河ドラマ悲喜こもごも” です…。


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NHK大河ドラマ「太平記」完全版のDVDを入手しました!

本年から遡る事28年前の平成3年にNHKで毎週放送されていた、大河ドラマ第29作「太平記」の全話を収録した、太平記完全版DVDを、先日、ついに購入しました!

この完全版DVDは、DVD7枚組の「第壱集」とDVD6枚組の「第弐集」の二つのパッケージから成り、その二つに全49話が収録されています。
第壱集と第弐集を合わせると、そこそこいいお値段でしたが、「廃盤になる前に、いずれは必ず買わなければ!」とずっと思い続けいたものなので、ワタシ的には満足な買い物でした。

大河ドラマ「太平記」 DVD_01

大河ドラマ「太平記」 DVD_02

大河ドラマ「太平記」 DVD_03

言わずもがなですが、この大河ドラマ「太平記」は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての動乱期を、室町幕府初代将軍の足利尊氏を主人公に描いた、吉川英治晩年の大作「私本太平記」を原作とした作品で、当時30歳頃だった真田広之さんがその尊氏を清々しく演じました。
大河ドラマとしては初めて南北朝時代を本格的に取り上げた作品でもあり、私も、自分が今まで見た大河ドラマの中では、この太平記は最も好きな作品です。

とはいっても、実は放送当時、私はオンエアではこの作品はほとんど見ておらず(まだ子供だった当時の私は、戦国時代には興味がありましたが、太平記の時代にはあまり興味がなかったのです)、後に、再放送や、ビデオのレンタルカセットなどを観てハマったクチです(笑)。

真田広之(足利尊氏)

特に、作中での以下の人物は、私の中で今も強く印象に残っています。

信長や秀吉のような絶対的・専制的なリーダータイプではなく、よく迷い、戦に負ける事も多々あり、しかしなぜか時々 “謎のカリスマ” としか言いようのない神がかった強烈な魅力を発揮して周りを引きつけ、何だかんだで結局同時代の大多数の人達から支持された、足利尊氏
血気盛んで直情・短気な人物として描かれていた、高嶋政伸さんが演じていた足利直義
常に鎌倉幕府(特に長崎親子)から抑圧されながらも、尊氏を導き、動乱の足音を間近に聞きながら尊氏に後を託して病没した、緒形拳さんが演じた忍耐の人・足利貞氏
豪胆かつ奔放な性格で、これぞまさに「ばさら大名」の典型というような人物でありながら、有能で先読みする能力に長け、一見敵なのか味方なのかよく分らなそうな人物にも見えて結局何だかんだで最後まで尊氏を裏切る事はなかった、陣内孝則さんが好演した佐々木道誉
「南朝方の中心的な武将」「後世にも忠臣として名を馳せた大楠公」というよりは、「河内の気のいいおっさん」感のほうが前面に出ていて、それに加え、役者が武田鉄矢さんであった事からやはり「金八先生」感も強かった、楠木正成
「闘犬と田楽にうつつを抜かす暗君」という、従来から広く知られてきた人物像を忠実に再現しながら、演者である片岡鶴太郎さんの熱演・怪演が光っていた、北条高時
退廃した末期の鎌倉幕府を象徴するような人物で、貞氏や尊氏など足利氏を執拗にいじめ、フランキー堺さんが「本当に嫌なヤツ!」という嫌われ役を見事に熱演した、幕府の事実上の最高権力者・長崎円喜

これから、計13枚あるこれらのDVDを、時間のある時などにゆっくりと楽しみながら観ようと思います!


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九州国立博物館で特別展「室町将軍」が開催されています

私が住んでいる地域では特に積極的に宣伝されているわけではないので、実は昨日初めて知ったのですが、現在、福岡県太宰府市にある九州国立博物館では、『室町将軍 戦乱と美の足利十五代』と題した特別展が開催されているそうです。
下の画像がその特別展の広告ですが、何せこういったブログを運営しているくらいですから、私としては当然、もの凄く興味・関心がある内容の特別展です!

特別展「室町将軍」

九州国立博物館の公式ホームページによると、この特別展は、『初代の足利尊氏から15代に亘って、時代の波に翻弄されながらも凡そ240年の間政権を保ち独自の価値観と美の世界を築き上げてきた、歴代の足利将軍の肖像や所縁の文化財から、室町幕府の栄枯盛衰と個性溢れる将軍達の魅力に迫り、また、将軍達か愛した芸術や名品などを通して室町時代の多彩な芸術文化を紹介する内容』となっているそうです。
そして、尊氏が夢窓疎石を開山として創建し足利将軍家菩提所となった、京都の等持院に伝わる歴代足利将軍の彫像13体が、寺外て初めて一挙に公開される機会ともなるそうです。
以下の動画3本は、いずれもこの特別展の関連動画です。






建武の新政後、後醍醐天皇から離反し心ならずも後醍醐天皇と敵対する事になってしまった足利尊氏は、九州へと逃れて約1ヶ月間太宰府に滞在しましたが、尊氏所縁のその太宰府の地で、このような素晴らしい特別展が現在開催されており、しかもこの特別展は他都市へ巡回する予定は無いそうなので、これはもう、ワタシ的には何としても、会期中に九州国立博物館へ観に行くしかありません!
というわけで、私は太宰府から遙か遠く離れた北海道に住んでいるのですが、この特別展を観に行くためだけに、来月下旬、1泊2日の日程で九州へ行って来る事にしました。先程ネットで、福岡空港行きの飛行機を予約しました♪

ちなみに、熊本県立美術館では今月19日から、特別展「菊池川二千年の歴史 菊池一族の戦いと信仰」を開催するそうです。時間の都合がつけば、折角の機会なのでこちらも是非観に行ってみたいです!



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足利成氏の生き様と享徳の乱から垣間見える関東足利氏の誇り

  先日、「いおた」さんという方が作成しユーチューブにアップされていた、関東戦国史についての解説動画3本を観ました。
これらの動画では、関東は、「享徳の乱」の開戦により全国に先駆けて戦国時代に突入し(応仁の乱より12年早いです)、そして、秀吉による「小田原征伐」を以て全国で最も遅く戦国時代が終わった、という解釈のもと、関東に於ける戦国時代の前半の主人公を、第5代鎌倉公方で後に初代古河公方となった足利成氏(しげうじ)、関東戦国時代の後半の主人公を、後北条(小田原北条氏)の祖である北条早雲と位置付けて、動画作成者自身の主観を交えながら歴史初心者にも分りやすく解説されていて、なかなか面白かったです。


一般に、関東を代表する初の本格的な戦国大名として抜群に知名度が高いのは北条早雲ですが、これらの動画では、その早雲が登場してからの関東戦国史は「消化試合みたいなもの」と大胆な解釈をし、その上で、一般にはあまり知名度が高いとは言えない足利成氏を、当時の中央政権である室町幕府と戦って関東に戦国時代をもたらした張本人として大きく取り上げ、成氏が最後まで戦い抜いた「享徳の乱」については、28年間も続いた大乱(応仁の乱ですら10年)でありながら、「最後にみんな負ける戦争」「勝者なき戦い」と断じており、興味深かったです。

関東の戦国時代は、足利将軍家を頂点とする室町幕府、関東公方(鎌倉公方や古河公方など)を歴任した関東足利氏、関東管領である上杉氏の本家や分家、その他の関東武士団などが、敵味方入れ替わりながら長期に亘って戦い続けるカオスな時代であり、南北朝の戦乱や応仁の乱などもそうですが、敵味方がコロコロと変わるためかなり複雑で分かりづらいのですが、足利成氏(とその父・持氏の親子2代)の視点から見ると、あくまでも一方からの見方であるため必ずしも公平な見方ではないのでしょうが、関東戦国史は意外とすっきりと分かりやすく見えてくるのかなと感じました。

そして、これらの動画を見て改めて、将軍家と同じく尊氏の子孫で、将軍家と同じ足利姓の一族(血筋でいえば勿論身内)でありながら、一時期を除いてほとんどの時代で足利将軍家と対立し、時には激しく戦火さえ交えた関東公方足利氏は、やはり“誇り高い一族”だったんだな、と感じました。
父や兄達の仇でもある幕府や上杉氏らと、とことん戦い続け、本拠である鎌倉を奪われても古河に本拠を移し決して屈する事の無かった成氏は、まさに、その関東足利氏歴代の“激しさ”や“矜持”を象徴するような人物といえるでしょう。


平成29年10月30日の記事で詳述した通り、室町幕府が崩壊し足利将軍家が途絶えた後、尊氏の子孫は2系統が存続し、現在も続いておりますが、その2系統のうち、足利将軍家に近く貴種であるはずの平島公方(阿波公方)足利氏は、豊臣政権からも徳川政権からもその存在をほとんど無視され、江戸時代になると、形の上では徳島藩主・蜂須賀氏の客将という扱いを受けはしますが、実際にはその蜂須賀氏からも冷遇され、どんどん没落していきました。
それに対して、室町幕府があった時代に将軍家と対立関係にあった関東公方足利氏のほうは、豊臣政権からも徳川政権からも厚遇され、江戸時代には事実上、足利氏の宗家と見なされ、実高は高家旗本並みの五千高程度でありながら、格式は十万石の国主大名並みという破格の待遇を受けました。
こういった両家の扱いの差は、勿論それだけが原因ではないでしょうが、関東公方足利氏のほうが、平島公方足利氏よりも多くの武士達から“勇猛な武家を束ねる立場の者”として共感や敬意を得、その実績も高く評価されていたからなのではないのか、という気がします。

有力な支持勢力であった細川晴元に裏切られた事をきっかけに堺から阿波へと逃げた平島公方足利氏は、家臣はいても、自前の軍事力はほぼ皆無で、実質、有力な戦国大名から権威として利用されるだけの存在で、江戸時代になるとその権威すら失墜していきましたが、それに対して関東公方足利氏は、源氏一門所縁の関東に本拠を構え、関東武士団の棟梁(関東公方)として直接軍勢を率いて何代にも亘って中央政権(室町幕府)と戦い続け、関東で後北条が台頭するようになるとかつての勢いは失われ歴史の表舞台からは消えていきましたが、兎も角、良くも悪くも多くの実績を残しました。
その野望やプライド、復讐心などから関東に無用の戦乱を招いた、と言えない事もありませんが、別の見方をすると、屈する事なく常に戦い続けた誇り高き一族、という見方も出来、それが、後の世になって両足利家の待遇に格差が生じる一因にもなったのかもしれませんね。


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楠木正成・大河ドラマ誘致協の活動が広がりを見せています

特に関西などを中心に「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている、鎌倉時代末期や南北朝時代に南朝方の有力武将として活躍した楠木正成と、その嫡男である正行(まさつら)の2人を主人公にしてNHK大河ドラマ化の実現を目指す、自治体で作る誘致協議会が、ここ最近、着実な広がりをみせています。

この誘致協議会に会員として入会している自治体は近畿圏が中心で、現在のところ、京都市・神戸市・大阪市・堺市など関西の政令指定都市全てを含む5府県35市町村が加盟しており、今月16日には、誘致協議会の会長である島田智明 河内長野市長が、阪口伸六 高石市長(府市長会会長)や、松本昌親 千早赤阪村長(府町村長会会長)達と共に、門川大作 京都市長を表敬訪問し、楠木親子の大河ドラマ化についての意見交換も行っています。

広がる「楠木正成・大河ドラマ誘致協」

誘致協議会は、今年4月に25市町村で発足し、最近では近畿以外の自治体にも広がりを見せ、鳥取県大山町なども参加するなどしていました。この勢いを更に拡大させるため、また、太平記には「隠岐から脱出されて鎌倉幕府を倒された後醍醐天皇は、楠木正成の先導で京都へ御帰還された」といった内容が記されており京都は正成を語るうえで欠かせない場所のひとつとされている事から、誘致協議会は京都市へも参加を呼びかけていました。

そして、その呼びかけに応じる形で、9月下旬に誘致協議会への京都市の加入が決まり、前述の京都市への表敬訪問は、それを踏まえた上での返礼として行われたのでした。
報道によると、会長である島田 河内長野市長は、「京都は日本の歴史を語るうえで欠かせない。京都市が入ってくれた事でますます大河(ドラマ化実現)に近づいた」と述べて、大河ドラマ実現への期待を寄せ、門川 京都市長も、「子供の頃に楠木正成の本を読み、強烈な印象が残っている。今の日本を作った先人をしっかりと学んで未来に生かしていく、さらに地域振興に生かす事は非常に大事。しっかりと連携し(大河ドラマ化実現に)取り組んでいきたい」と語り、大河ドラマ実現に向けて協力する姿勢を示しました。

楠木正成・正行が実際に歴史の表舞台で活躍したのは、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけてのごく短い期間だけですから、私の個人的な所感としては、1年間にも及ぶ長期の大河ドラマでその二人の生涯だけを描いていくのは、ちょっと長過ぎるのではないか、ドラマとして何となく間延びしてしまわないかな、という懸念が正直無くはありませんが、その反面、楠木正成・正行がドラマでどのように描かれ活躍するのか見てみたい、という期待感も勿論あります。
私としては、以前民放で毎年年末に放送されていた、12時間ぶっ続けの「年末時代劇スペシャル」などの枠で放送されると、短かすぎず長すぎずで丁度いいのかな、という気もします。もっとも、今はもう、その枠も番組もありませんが…。


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応仁の乱についての解釈の違い

室町時代の応仁元年(1467年)に発生した、日本の歴史上屈指の大乱である「応仁の乱」とは、よく知られているように、全国の武士達が東軍(当初の中心人物は細川勝元)と西軍(当初の中心人物は山名宗全)に分かれて、11年もの長きに亘って戦った大乱です。
この戦いによって、開戦から僅か一年で京の都はほとんどが焼き尽くされ、その戦火は全国各地にも飛び火し、落ちかけていた室町幕府の権威は完全に失墜する事となり、守護大名の衰退も加速していき、その結果、戦国大名と呼ばれる新たな勢力が出現し、世は戦国時代へと突入する事になりました。

しかし、それだけ大きな戦であったにも拘わらず、そもそも応仁の乱とは一体誰が何のために戦っていた戦だったのか、どうしてこれだけ大きな戦に発展したのか、という事を一言で説明しようとすると、その事情が余りにも複雑過ぎるため、誰もが困難を極めるのが実情です。
実際、主戦場となった狭い京の都で戦っていた当事者達でさえ、今自分の目の前にいるのが誰であるのかも分からないまま戦かっていた、という事も少なくはなかったと云われています。

応仁の乱対立図

この応仁の乱について、乱が起こるに至った原因や、終了に至る経緯などを詳しく解説している動画が、動画投稿・共有サービスの「YouTube」(ユーチューブ)にアップロードされており、先程、それらの動画を視聴しました。
以下に貼付する2本の番組がそれで、いずれも過去にテレビで放送された、約45分程の歴史ドキュメンタリー番組です。


まず1本目は、「その時歴史が動いた 応仁の乱、天下を滅ぼす 終わりなき“戦いの連鎖”」という番組で、これは前編・後編の2編に分かれてアップロードされていました。


2本目は、「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー 応仁の乱」という番組で、こちらは前編・後編に分ける事なく1本の動画としてアップロードされています。室町幕府第8代将軍である足利義政の妻・日野富子が、特に大きく取り上げられていました。


これらの2本の番組は、どちらも「応仁の乱」という同じ大乱を取り上げているにも拘わらず、乱の原因や経緯については異なった解釈をしているのが、とても興味深かったです。
「その時歴史が動いた」では、応仁の乱のそもそもの発端となったのは、近畿南部の大名・畠山氏の跡継ぎをめぐる争いで、その争いに、他の大名家同士の家督争いが絡み、更には将軍家の内紛も絡み、戦いが当事者達の思惑を離れて余りにも大きくなり過ぎて当事者達にも制御が出来なくなり、結果として、戦いを始めたそもそもの理由に比べてその規模が不相応に大きい大乱となった、という解釈がされていました。
一方、「世紀のワイドショー!」では、応仁の乱のそもそもの発端は、足利義政と日野富子による、将軍家後継者を巡っての夫婦喧嘩であり、将軍家内部のその家庭問題が全国を巻き込む戦争に発展していき、戦争の途中からは、大名家同士、守護家同士の主導権争いにもなっていった、という解釈がされていました。

つまり、将軍家内部の争いと、大名家同士の争いが絡み合っているという点では同じなのですが、まず大名家の争いが有りきだったのか、まず将軍家の争いが有りきだったのか、そこが正反対の解釈となっているのです。
また、足利義政についても、「その時歴史が動いた」では、最終的には政治には全く関心を示さなくなるものの若かりし頃は将軍としての務めを積極的に果たそうとしていた人物として描かれていたのに対し、「世紀のワイドショー!」では、義政は若い頃から一貫して、政治には何の関心も示さなかった人物として描かれていました。

皆さんも、もしお時間があれば、是非これらの番組を視聴してみて下さい。
ちなみに、私は中学校や高校の歴史の授業では「応仁の乱」という名称で習いましたが、近年の教科書では、「応仁・文明の乱」という呼称で書かれているそうです。


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NHK「その時歴史が動いた」で描かれた湊川の戦い

南北朝時代の1336年に、摂津国湊川(現在の兵庫県神戸市)で、光厳上皇の院宣を奉じて九州から東上して来た足利尊氏の軍と、後醍醐天皇の勅命によりこれを迎え撃った楠木正成の軍との間で「湊川の戦い」という合戦が行われました。

湊川の戦いについては、昨年3月11日の記事昨年9月25日の記事でも述べた通りなので、ここではその詳細は割愛しますが、先日たまたま、かつてNHKで放送されていた歴史情報番組「その時歴史が動いた」の中で、この湊川の戦いが取り上げられていたという事を知り、動画投稿・共有サービスの「YouTube」(ユーチューブ)にアップロードされていたその動画を視聴しました。
平成15年2月12日に放送された「乱世を制するリーダーの条件 ~湊川の戦い 足利尊氏、苦悩の決断~」と、平成17年2月23日に放送された「我が運命は民と共に ~悲劇の英雄 楠木正成の実像~」の2回で、湊川の戦いに至る経緯が足利尊氏、楠木正成それぞれの視点から描かれており、なかなか面白かったです。

まず以下は、「乱世を制するリーダーの条件 ~湊川の戦い 足利尊氏、苦悩の決断~」の動画です。45分の番組ですが、4本に分割してアップロードされています。
尊氏の立場に立って、尊氏の苦悩と、尊氏はいかにして乱世を勝ち抜き新たな時代を切り開くリーダーとなりえたのか、という事が描かれています。







 

そして、以下は「運命は民と共に ~悲劇の英雄 楠木正成の実像~」の動画です。こちらも45分の番組ですが、ここでは7本に分割してアップロードされています。
正成は従来、忠誠・知謀・勇猛が強調される事が多かったですが、この放送ではそれらに加え、正成の活躍の土台には、正成と民衆との緊密な連携・ネットワークもあったとしており、その点も興味深かったです。















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