この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

足利義輝

本年の大河ドラマには、剣豪将軍として知られる足利義輝が登場します!

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」

今月19日から放送が始まった、本年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第1話、早速見ました。

第59作となる今回の大河ドラマの主人公である明智光秀に対しては、正直なところ、個人的に特にこれといった思い入れはありませんが(光秀の事は別に好きでも嫌いでもありません)、私が昔から強い関心を抱いていた室町幕府第13代将軍 足利義輝が本年の大河に登場するらしいと知ったので、義輝が大河の中でどのように描かれるのかが楽しみで、まずは第1話を見てみました。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 明智光秀


義輝は、少し前までは、同時代に綺羅星の如く存在する数多くの有名な戦国武将達の影に隠れて、影の薄いマイナーな存在でしたが(最後の室町幕府将軍 足利義昭よりもマイナーでした)、近年は、歴史ゲームや歴史小説などの影響なのか、「将軍としての権力は極めて脆弱だったものの、ひとりの武士としては剣技を極めた、メチャメチャ強かった剣豪将軍」「歴代の征夷大将軍の中でも、類例を見ない程の壮絶な最期を遂げた悲運の将軍」として、若い世代にも知られています。
ただ、今回の第1話には、向井理さんが演じるその義輝は登場しませんでした。第2話以降には登場するそうなので、個人的には期待しています♪

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 足利義輝
向井理さんが演じる足利義輝_01
向井理さんが演じる足利義輝_02


足利将軍としては、今回の大河には、義輝の他に義昭も登場するそうです。というか、主人公・光秀との関係性で考えるなら、今回のドラマに於けるメインキャラは、むしろ義輝ではなく義昭のほうですよね。光秀は、信長に仕える前は義昭の家臣でしたから。
ちなみに、義昭は、個人的には昔からどうしても好きにはなれない人物です(笑)。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」 足利義昭


で、とりあえず、「麒麟がくる」の第1話を見た感想ですが、私としては、面白かったです。
この第1話に対して、ネットなどでは賛否両論があったようですが、私は、大河ドラマはあくまでもフィクションであり、娯楽時代劇として楽しむものと認識していますから、厳密な時代考証や風俗考証などをも求めるのは「そもそも野暮ってものでしょう」と思っています。
厳密な考証に基づく歴史ドラマを作成するのであれば、あくまでも、幾多の議論を経て定説として完全に定着している一次資料のみに忠実なドラマを作るべきですが、そんなドラマは、多分堅苦しくてつまらないでしょうしね(笑)。

今回の大河ドラマ、フィクションの割には、
「土岐氏からの美濃奪取は、斎藤道三 一代によるものではなく、斎藤親子二代により成されたもの」
「濃姫にとって、信長との結婚は再婚で、濃姫はその前に一旦土岐家に嫁いでいた」
などの、最新の研究成果が設定やストーリーにも採り入れられていて、そういった所も興味深かったです。

あと、延暦寺の僧兵達が、関所で通行人に暴力を振るうなどのシーンもありましたが、あれは恐らく、歴史的な大事件として知られるあの「比叡山焼き討ち」への伏線なのでしょうね。
比叡山の焼き討ちを命令したのは信長ですが、現地での実働部隊としてその中心的な役割を果たしたのは光秀ですし、その事後処理も光秀が一任されていますから。

最終話まで見るかどうかはまだ分りませんが、とりあえず、義輝が壮絶な最期を遂げる「永禄の変」までは、本年の大河、毎週見てみようと思います。


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京都にある史跡「足利義輝邸跡」と、義輝の壮絶な最期

本年の8月下旬、所用により、2泊3日の日程で関西に行ってきました。
主に京都・大阪・神戸を回ってきたのですが、京都では私一人だけで行動する時間が少しあったので、その際に、以前から一度訪れてみたいと思っていた、地下鉄烏丸線 丸太町駅の直ぐ近くにある「足利義輝邸跡」を、サクっと一人で見学してきました。

足利義輝邸跡_01

ここは、現在は「平安女学院」という学校の京都キャンパス(同学院の大学・高校・中学校・学院本部などが置かれています)の敷地の一部で、かつて義輝邸があった事などを示す石柱がただ立っているだけで、当時の面影は微塵もありませんが(そもそも室町幕府や足利将軍家関係の史跡は、金閣・銀閣・相国寺等持院などの一部を除くと、大抵はどこも往事の面影など全くありませんが)、かつてはこの地に、室町幕府第13代将軍の足利義輝が屋敷を構え、この地で将軍として政務を執っていました。

足利義輝邸跡_02

義輝は、近年は「剣豪将軍」として知られており、実際、室町幕府に限らず我が国の歴史に登場する歴代の征夷大将軍の中では、一個人が持つ剣技としては間違い無く最強の人物であったと私も思っていますが(一説によると義輝は、剣聖と称された塚原卜伝から指導を受けた直弟子のひとりで、その卜伝から奥義「一之太刀」を伝授された、とも云われています)、ここは、その義輝が壮絶な最期を遂げた場所でもあります。

足利義輝邸跡_03

義輝の最期は、いくつかの異説はあるものの一般には、概ね以下のようであったと伝えられています。但し、これについても、江戸時代後期以降に創作された武勇伝であるという説もありますが。

松永久秀と三好三人衆らは、邪魔な存在となった将軍・義輝を弑逆すべく、約1万の軍勢で義輝の屋敷を襲撃しますが、剣豪レベルにまで鍛えまくっていた義輝は自身で直接刀や薙刀を振るい、屋敷の中に入り込んできた軍勢を次々と斬り殺し、血や脂が付いて切れ味が悪くなると、自身の周囲の畳などにぶっ刺した予備の刀を握りしめてまた戦うなどしたため、松永勢はいつまで経っても義輝一人を討ち取る事が出来ませんでした。そこで、最後は四方から一斉に畳を義輝に覆い被せ、それらの畳の上から一斉に突き刺して義輝を殺害しました。

他にも、「大勢の槍刀によって傷ついて地面に伏せた義輝を、一斉に襲いかかって殺害した」とか、「槍で足を払われた義輝が倒れたところを、上から刺し殺した」とか、「義輝は自ら薙刀や刀で戦った後、自害した」などとも云われておりますが、兎も角、壮絶な最期だった事は間違いないようです。

ただ、義輝のこの壮絶な最期は、武勇伝として「剣豪将軍」の名を大いに高めはしましたが、一介の武士としてなら兎も角、全国の大名達を率いる征夷大将軍としては決して賞賛されるべき最期ではなく、武家の棟梁であるはずの将軍の権威が完全に失墜した事を全国に強く印象付ける事件となりました。


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