この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

応仁の乱

今年の“読書の秋”に私が読んでみようと思っている本

今月は、上旬から中旬にかけて、特に仕事が忙しかったのですが、その忙しさも概ね一段落したので、買ってはいたもののまだ未読だった書籍などを、これから集中的に読書していきたいなと思っています。

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上の写真に載っている本が、これから私が読んでみようと思っている、南北朝時代・室町時代・応仁の乱関係の4冊です。
一昔前だと、南北朝時代や、室町時代(但し戦国時代は除く)について書かれた本は、専門書などを除くとほとんど無かったように思いますが、最近は、南北朝時代や室町時代について解説されたこういった一般書が徐々に増えてきており、以前よりは、こういった時代を書籍で調べたり勉強したりする事について、敷居が低くなってきていると思います。良い事です!

大規模な争乱ではあっても全体的には地味な印象があるため今まであまり注目されてこなかった「応仁の乱」に関する本も、最近は、やはり出版される機会が増えています。応仁の乱は、日本最大の内乱なのですから、確かにもっと注目されてもよいですよね。
応仁の乱といえば、数ヶ月前、応仁の乱に関する、興味深いツイートをネットで見つけました。以下の画像がそのツイートですが、複雑極まりない応仁の乱を、非常に簡潔に、それでいて適格に要約しており「なるほどな」と思いました(笑)。

応仁の乱ツイート

南北朝時代、室町時代、それに応仁の乱は、それぞれの時代や戦乱を代表する名君や武将は勿論いるのですが、後の世の信長・秀吉・家康程に抜群の知名度や人気を誇る英雄はほとんどおらず、それでいて、泰平の世の江戸時代になってから武家に定着した「武士は二君に仕えず」のような価値観や倫理はまだ無かったためいとも簡単に寝返りを繰り返す時代でもあり、そのため、敵味方の勢力が入り組んでいて、他の時代に比べると、各勢力の変遷などが非常に複雑で分かりづらいです。
そういった事から、南北朝時代や、室町時代の前期から中期にかけては、源平の合戦の時代、戦国時代、幕末など一般に人気の高い時代に比べると、「能力的にもカリスマ的にも突出した英雄がいるわけではないのであまり面白くなく、それでいて、もの凄く複雑で分かりづらい」といった印象を持たれる事が多かったですが、こういった解説本が増える事で、そういった世間一般の印象が少しでも和らいでくれれば、私としては個人的にとても嬉しく思います。


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応仁の乱についての解釈の違い

室町時代の応仁元年(1467年)に発生した、日本の歴史上屈指の大乱である「応仁の乱」とは、よく知られているように、全国の武士達が東軍(当初の中心人物は細川勝元)と西軍(当初の中心人物は山名宗全)に分かれて、11年もの長きに亘って戦った大乱です。
この戦いによって、開戦から僅か一年で京の都はほとんどが焼き尽くされ、その戦火は全国各地にも飛び火し、落ちかけていた室町幕府の権威は完全に失墜する事となり、守護大名の衰退も加速していき、その結果、戦国大名と呼ばれる新たな勢力が出現し、世は戦国時代へと突入する事になりました。

しかし、それだけ大きな戦であったにも拘わらず、そもそも応仁の乱とは一体誰が何のために戦っていた戦だったのか、どうしてこれだけ大きな戦に発展したのか、という事を一言で説明しようとすると、その事情が余りにも複雑過ぎるため、誰もが困難を極めるのが実情です。
実際、主戦場となった狭い京の都で戦っていた当事者達でさえ、今自分の目の前にいるのが誰であるのかも分からないまま戦かっていた、という事も少なくはなかったと云われています。

応仁の乱対立図

この応仁の乱について、乱が起こるに至った原因や、終了に至る経緯などを詳しく解説している動画が、動画投稿・共有サービスの「YouTube」(ユーチューブ)にアップロードされており、先程、それらの動画を視聴しました。
以下に貼付する2本の番組がそれで、いずれも過去にテレビで放送された、約45分程の歴史ドキュメンタリー番組です。


まず1本目は、「その時歴史が動いた 応仁の乱、天下を滅ぼす 終わりなき“戦いの連鎖”」という番組で、これは前編・後編の2編に分かれてアップロードされていました。


2本目は、「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー 応仁の乱」という番組で、こちらは前編・後編に分ける事なく1本の動画としてアップロードされています。室町幕府第8代将軍である足利義政の妻・日野富子が、特に大きく取り上げられていました。


これらの2本の番組は、どちらも「応仁の乱」という同じ大乱を取り上げているにも拘わらず、乱の原因や経緯については異なった解釈をしているのが、とても興味深かったです。
「その時歴史が動いた」では、応仁の乱のそもそもの発端となったのは、近畿南部の大名・畠山氏の跡継ぎをめぐる争いで、その争いに、他の大名家同士の家督争いが絡み、更には将軍家の内紛も絡み、戦いが当事者達の思惑を離れて余りにも大きくなり過ぎて当事者達にも制御が出来なくなり、結果として、戦いを始めたそもそもの理由に比べてその規模が不相応に大きい大乱となった、という解釈がされていました。
一方、「世紀のワイドショー!」では、応仁の乱のそもそもの発端は、足利義政と日野富子による、将軍家後継者を巡っての夫婦喧嘩であり、将軍家内部のその家庭問題が全国を巻き込む戦争に発展していき、戦争の途中からは、大名家同士、守護家同士の主導権争いにもなっていった、という解釈がされていました。

つまり、将軍家内部の争いと、大名家同士の争いが絡み合っているという点では同じなのですが、まず大名家の争いが有りきだったのか、まず将軍家の争いが有りきだったのか、そこが正反対の解釈となっているのです。
また、足利義政についても、「その時歴史が動いた」では、最終的には政治には全く関心を示さなくなるものの若かりし頃は将軍としての務めを積極的に果たそうとしていた人物として描かれていたのに対し、「世紀のワイドショー!」では、義政は若い頃から一貫して、政治には何の関心も示さなかった人物として描かれていました。

皆さんも、もしお時間があれば、是非これらの番組を視聴してみて下さい。
ちなみに、私は中学校や高校の歴史の授業では「応仁の乱」という名称で習いましたが、近年の教科書では、「応仁・文明の乱」という呼称で書かれているそうです。


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