今月14日に発生し、今なお依然として強い余震が続いている「熊本地震」によって被災された皆様方に、謹んでお見舞いを申し上げます。

今回の熊本地震は、気象庁が昭和24年に「震度7」の震度階級を設定してからは、平成23年に発生したあの東日本大震災(地震名は東北地方太平洋沖地震)に続いて国内では4回目、九州では初となる最大震度7の激震でした。
活断層が引き起こしたマグニチュード7.3の直下地震である点、木造家屋に大きな被害を出しやすい周期1~2秒のパルス状の揺れが強い点など、平成7年に発生した阪神・淡路大震災(地震名は兵庫県南部地震)とよく似た地震で、この度は熊本・大分両県を中心に九州北部の広範囲に亘って各地に大きな被害をもたらしました。
倒壊した住宅の下敷きになったり土砂崩れに巻き込まれるなどして、大変残念な事に、現在までに40名以上もの死亡が確認されています。避難所での病死等の関連死も含めると、死者の数はもっと多くなります。
お亡くなりになられた方々の御霊の安らかならん事を、衷心よりお祈り申し上げます…。


なお、宮内庁のホームページによると、天皇皇后両陛下は発災翌日の15日、熊本県の蒲島郁夫知事に対して、被害についてのお見舞いのお気持ち、災害対策に従事している関係者に対するお労いのお気持ち、被災者の健康を御祈念するお気持ちを、侍従長を通じてお伝えになられました。以下(鉤括弧内緑文字)がその全文です。
天皇皇后両陛下には、昨夜の熊本県を震源とする大地震により、多数の死傷者、避難者が発生するなど県民生活に大きな被害が生じていることに大変お心を痛められ、犠牲者に対するお悼みと被害を被った人々へのお見舞いのお気持ち、並びに災害対策に従事している関係者に対するおねぎらいのお気持ちを知事にお伝えするようにとの御意向でした。まだまだ、朝夕寒い季節であるので被災者をはじめ人々の健康を祈っておられます。以上、謹んでお伝えします。

歴史的にみても、天皇陛下は、一時の例外を除きほぼ常に、世俗的な権力とは無縁で、権力よりも上位に君臨する宗教的な最高権威、つまり、公正無私な祭祀王として只管“国の平安と国民の安寧を祈る”という超越的な御存在であり、その伝統は今も変わる事なく連綿と続いている、という事がよく分かる事例です。
このブログで度々取り上げている南北朝期の後醍醐天皇は、中世以降の歴代天皇としては珍しく、政治的な権力と宗教的な権威の両方を兼ね備えた天皇でありましたが。

ちなみに、念のために一応補足しておくと、両陛下が15日に熊本県の知事にだけお気持ちをお伝えになられたのは、その時点ではまだ、大分県など他県での被害はほとんど報告されていなかったためです。


ところで、熊本・大分両県では、この度の地震により伝統的建築物や歴史的文化財等も大きな被害を受けました。
国の特別史跡でもある熊本城では、全国ニュースでも既に大きく報じられているように、天守閣の屋根瓦が崩れたり、屋根の上にあったしゃちほこが落下したり、石垣もいくつかの場所で崩れたり、更に、築城当初から残っていた重要文化財の東十八間櫓・北十八間櫓が倒壊して隣の熊本大神宮の社務所を押し潰すなどしました。
また、肥後国一宮で旧官幣大社の阿蘇神社(熊本県阿蘇市)でも、重要文化財の楼門と拝殿が全壊し、大分県でも、岡城跡(竹田市)、岡藩主中川家墓所(竹田市)、旧竹田荘(竹田市)、角牟礼城跡(玖珠町)、鬼の岩屋古墳(別府市)などで一部に亀裂やズレが生じるなどの被害が発生しました。

私は一昨年1月20日の記事「南朝の天皇・皇族・武将をお祀りする神社」の中で、建武中興十五社会の神社を紹介させて頂きましたが、その15社のうち、後醍醐天皇の皇子で九州に於ける南朝方の全盛期を築いた懐良親王をお祀りする「八代宮」(熊本県八代市松江城町)と、後醍醐天皇の綸旨を受けて鎌倉幕府の鎮西探題を襲撃するもののその戦で敗れて討たれてしまった菊池武時などをお祀りする「菊池神社」(熊本県菊池市大字隈府)の2社は、いずれも九州、しかも、今回の地震で特に大きく被災した熊本県内に鎮座しております。
この2社のうち、八代宮の被害状況は現時点ではまだ不明ですが、菊池神社については、電子掲示板「神道青年全国協議会 災害対策掲示板」への書き込みによると、倒壊まではいかないものの社殿に酷い歪みが生じているとの事です。

これ以上犠牲者が増える事のないようにという事と、大変困難な状況に陥る事を余儀なくされた被災者の皆様方の一日も早い生活の再建、そして、この記事で取り上げた史跡や神社仏閣のみならず被災地の各所が一刻も早く復旧・復興されます事を、改めて心より御祈念させて頂きます。


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