この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

2014年06月

NHK「その時歴史が動いた」で描かれた湊川の戦い

南北朝時代の1336年に、摂津国湊川(現在の兵庫県神戸市)で、光厳上皇の院宣を奉じて九州から東上して来た足利尊氏の軍と、後醍醐天皇の勅命によりこれを迎え撃った楠木正成の軍との間で「湊川の戦い」という合戦が行われました。

湊川の戦いについては、昨年3月11日の記事昨年9月25日の記事でも述べた通りなので、ここではその詳細は割愛しますが、先日たまたま、かつてNHKで放送されていた歴史情報番組「その時歴史が動いた」の中で、この湊川の戦いが取り上げられていたという事を知り、動画投稿・共有サービスの「YouTube」(ユーチューブ)にアップロードされていたその動画を視聴しました。
平成15年2月12日に放送された「乱世を制するリーダーの条件 ~湊川の戦い 足利尊氏、苦悩の決断~」と、平成17年2月23日に放送された「我が運命は民と共に ~悲劇の英雄 楠木正成の実像~」の2回で、湊川の戦いに至る経緯が足利尊氏、楠木正成それぞれの視点から描かれており、なかなか面白かったです。

まず以下は、「乱世を制するリーダーの条件 ~湊川の戦い 足利尊氏、苦悩の決断~」の動画です。45分の番組ですが、4本に分割してアップロードされています。
尊氏の立場に立って、尊氏の苦悩と、尊氏はいかにして乱世を勝ち抜き新たな時代を切り開くリーダーとなりえたのか、という事が描かれています。







 

そして、以下は「運命は民と共に ~悲劇の英雄 楠木正成の実像~」の動画です。こちらも45分の番組ですが、ここでは7本に分割してアップロードされています。
正成は従来、忠誠・知謀・勇猛が強調される事が多かったですが、この放送ではそれらに加え、正成の活躍の土台には、正成と民衆との緊密な連携・ネットワークもあったとしており、その点も興味深かったです。















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太平記所縁の地 稲村ヶ崎

今から3年程前、鎌倉を旅行した際に、太平記所縁の地である稲村ヶ崎を訪ねました。

稲村ヶ崎は、鎌倉市南西部の由比ヶ浜と七里ヶ浜の間に位置する、相模湾に突き出た岬で、鎌倉幕府を攻め滅ぼさんとする新田義貞が、この岬から海岸に沿って鎌倉に軍勢を進めようとするものの、波打ち際が切り立った崖となっていたためそれが出来ず、そのため義貞が、潮が引く事を祈念しながら太刀を海に投じて龍神に奉納すると潮が引いて海岸が干潟となり、そこから一気に鎌倉に攻め入り幕府を滅ぼした、という、太平記でも特に有名なエピソードのひとつの舞台となった伝説地です。

新田義貞

稲村ヶ崎_01

稲村ヶ崎_02

「史蹟 稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地」と刻まれた石柱や、稲村ヶ崎での義貞の伝説を記した石碑、明治天皇御製(明治天皇が義貞について詠まれた歌)が記された石碑なども立っていました。
太平記が好きな私にとって、ここは前々から一度は訪ねてみたいと思っていた場所でした。

稲村ヶ崎_03

稲村ヶ崎_04

稲村ヶ崎_05

稲村ヶ崎からは、江の島や、江の島と本土を結ぶ江ノ島大橋もはっきりと見えました。
江の島は、鎌倉の西隣の街・藤沢市にある、周囲約4km、標高約60mの陸繋島(砂州によって陸続きになった島)で、鎌倉と共に湘南を代表する一大観光地として全国的に知られています。

稲村ヶ崎から望む江の島


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