この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

2013年10月

足利氏と上杉氏の系図

足利氏一門(鎌倉時代の足利家、足利将軍家、関東公方足利家)や、代々関東管領の職を継いで関東公方足利家を支えた上杉氏(但し時には関東公方と対立して戦火を交える事もありましたが)の、詳細な系図です。

足利氏関係の系図では、私が最も見る機会の多いもので、日頃から重宝しています。
この系図はクリックすると拡大表示されますので、是非拡大の上御覧下さい。

足利氏・上杉氏系図


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足利氏を始めとする源氏一門の氏神とされた石清水八幡宮

昨年の2月、私は仕事の関係で、三重県の某所で4泊5日の日程で開催された研修を受講してきたのですが、その研修に行く途中、少し時間があったので、京都府八幡市の男山山中に鎮座する石清水八幡宮に立ち寄って、同宮を参拝・見学してきました。

石清水八幡宮_01

平安時代前期の895年(貞観元年)7月15日の夜、豊前国(今の大分県)の宇佐八幡に参篭していた奈良大安寺の僧・行教が、八幡大神から「われ都に近き男山に移りて国家を鎮護せん」との御神託を受け、行教はこの託宣に従って同年、男山の峯に御神霊を奉安しました。これが、石清水八幡宮の起源とされています。
本殿でお祀りされている御祭神は、八幡大神(誉田別尊)、比咩大神(宗像三女神)、神功皇后(息長帯比賣命)の三柱です。

石清水八幡宮は、足利将軍家が特に篤く信仰したお宮ですが、同宮は足利氏だけではなく、八幡太郎の名で知られる源義家や、鎌倉幕府を開いた源頼朝、それに徳川将軍家など、歴代の源氏一門から、源氏の氏神、武門(弓矢)の神として篤く崇敬されてきました。
また、武家だけではなく朝廷からも、国家鎮護の社として篤く崇敬されてきました。

しかし、南北朝時代の動乱期には、石清水八幡宮はその地理的要衝から恰好の軍事目標となり、しばしば軍事拠点となって兵火にも晒されました。
その動乱期に京都で室町幕府を開いた足利尊氏は、源氏一門の棟梁として八幡大神を篤く崇敬し、石清水八幡宮には度々戦勝を祈請し、1338年に兵火で社殿が焼失した際には、尊氏は弟の直義と共に直ちに社殿の造営に着手し、同年中に遷宮が行なわれました。

幕府が京都に置かれた事もあって足利将軍の社参は特に多く、室町幕府の全盛期を築いた第3代将軍義満は、石清水八幡宮には15回も社参しており、第4代将軍義持に至っては、その数は37回にも及びました。
石清水祠官家嫡流であった田中家は南朝寄りだったそうですが、田中家の支流・善法寺家は北朝・足利氏を支持し、後には善法寺通清の娘の良子が義満の生母にもなっているので、そういった事情も、同宮と将軍家が緊密な関係になっていった事に大きな影響を与えたようです。
下の画像は、石清水八幡宮を篤く崇敬した、僧衣姿の足利義満です。ちなみに、今も名作アニメとして名高い「一休さん」に登場する“将軍さま”は、この義満です。

足利義満

また、幕府の第6代将軍を決める際には石清水八幡宮の神前にてくじ引きがひかれ、このくじ引きの結果により将軍に就いた足利義教は「くじ引き将軍」と称されました。
このように歴代の足利将軍は石清水の八幡大神を篤く崇敬し、石清水八幡奉行も設置しました。

こういった事から、石清水八幡宮には今も、室町幕府歴代将軍の自筆願文や寄進状などが残されています。
一旦は後醍醐天皇方の軍勢の猛攻を受けて九州へ落ちのびた尊氏が、再び軍勢を率いて上洛する際、それに先立って同宮に使者を送って善法寺通清に戦勝祈願を依頼したと伝わる文書も残されており、その文書は、一説によると使者が髪を束ねる紙縒(こより)、元結(もとゆい)に隠して持ち込んだとされる事とから、「元結の御教書」とも呼ばれているそうです。


以下の写真はいずれも、この時(昨年2月)の参拝・見学の際に、私が石清水八幡宮で撮影してきた参道や社殿等の風景です。
行事・祭時がある日、日曜日や祝日、桜の開花する時期、七五三シーズン、年末年始などは混むようですが、私が行った時は行事が何も無い平日のお昼過ぎ頃だったので、境内は閑散としていました。

石清水八幡宮_02

石清水八幡宮_03

石清水八幡宮_04

石清水八幡宮_06


下の写真は、この時社殿を案内して下さった石清水八幡宮の神職さん(中央)と、この時私に付き合って同宮まで一緒に来て下さった歴史学者のK先生(右)です。
神職さんは、この写真の背後に聳える楼門やそれに連なる回廊の内側(通常は祭典に参列するか御祈祷を受けなければ昇殿出来ません)などを案内して下さいました。K先生は、かつて私が京都市内の某学校に2年間在籍していた時の、国史(日本史)の授業を担当されていた先生です。ちなみに、左が私です。

石清水八幡宮_05


ところで、私はうっかり写真を撮ってくるのを忘れましたが、石清水八幡宮には、建武の新政が始まった1334年に楠木正成が植えたと伝わる大きなクスノキもあります。
鎌倉幕府の討幕成功と王政復古を八幡大神に奉告するため、後醍醐天皇は1334年に石清水へ行幸されているので、もしかするとその時に正成が植えたのかもしれません。


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