私は、日本の甲冑が好きです。単に好きなだけで、別に全然詳しくはないのですが(笑)。
というわけで今回は、甲冑、それも南北朝時代の甲冑について、かなり大雑把にではありますが紹介をさせて頂きます。

平安時代末期や鎌倉時代の武将達は、太刀や腰刀は、矢を射尽くした時の決戦時や、平時の際の武器として使い、合戦に於いては、専ら馬に乗って弓矢を主要な武器として戦いました。
そのため当時の甲冑「大鎧」は、馬上で弓矢を操作しやすい機能と構造を持ち、また、敵の弓矢を防ぐために堅牢でなければなりませんでした。そういった構造のために甲冑の重量はかなり重くなりますが、この負担は馬に乗るので然程でもありませんでした(但し、大鎧はあくまでも武将の甲冑であり、一般の兵卒はもっと簡易な、胴丸系の甲冑を着ていました)。

しかし、南北朝時代になると、騎馬で駆け回るには不適当な山中や丘陵地が戦場となる事が多くなり、どうしても歩兵戦が増え、また、戦闘の様相も一騎がけから集団での激しい接戦や大規模な戦闘に発展していったため、もっと身軽に動くため、従来の大鎧は改造されて軽量化され、軽快な胴丸(従来の胴丸より更に発展したもの)や腹巻となりました。
しかし、伝統的な大鎧も、名のある武将の間では依然として使用されてもいました。

以下に、そのような南北朝期の甲冑のうち、現存するものの一部(特に代表的な甲冑)を写真と共に紹介させて頂きます。


南北朝時代の甲冑_07

▲ 黒韋威胴丸 (くろかわおどしどうまる)
兜、大袖付 一領。 広島・厳島神社所蔵。 国宝。 盛上小札の手法や金具廻の様相から推して、胴丸の盛期である南北朝時代の代表的遺品とされています。


南北朝時代の甲冑_08

▲ 白糸威肩赤胴丸 (しろいとおどしかたあかどうまる)
兜、大袖付 一領。 青森・櫛引八幡宮所属。 重文。 南部政長が奉納したと伝えられる、南北朝時代から室町時代にかけての典型的な胴丸です。


南北朝時代の甲冑_31

▲ 萌葱綾威腰取鎧 (もえぎあやおどしこしとりよろい)
大袖付 一領。 愛媛・大山祇神社所蔵。 重文。 繊弱な綾威鎧の色調に、中世武士の優雅な出で立ちが偲ばれます。綾威しの甲冑は上級武士の出で立ちとされますが現存するものは少なく、貴重な甲冑です。


南北朝時代の甲冑_32

▲ 白色威褄取鎧 (しろいとおどしつまとりよろい)
兜、大袖付 一領。 青森・櫛引八幡宮所属。 国宝。 南部信光が南朝の後村上天皇から拝領したと伝わる、南北朝時代の特色をよく示す甲冑です。


南北朝時代の甲冑_35

▲ 紫糸威肩白浅葱鎧 (むらさきいとおどしかたじろあさぎよろい)
兜、大袖付 一領。 青森・櫛引八幡宮所属。 重文。 兜の鍬型を欠失しているものの、他は全て完存で、雄大で作域の優れた、南北朝時代の典型的な甲冑です。これも南部氏の奉納と伝えられています。


南北朝時代の甲冑_36

▲ 黒韋威矢筈札胴丸 (くろかわおどしやはずざねどうまる)
兜、大袖付 一領。 奈良・春日大社所蔵。 国宝。 兜鉢や饅頭しころなどの様相から、南北朝時代初期のものと推察される胴丸で、楠木正成が奉納したと伝えられています。


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