2年後の令和4年に放送される、第61作となるNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」というタイトルの作品となる事が、先日NHKから発表されました。
作品の詳細な内容はまだ不明ですが、主人公は、鎌倉幕府第2代の執権で北条得宗家の祖となった北条義時(下の画像は彼の肖像画)、その義時役は俳優の小栗旬さんが演じ、脚本は、「新選組!」と「真田丸」に次いで大河ドラマ3作目となる三谷幸喜さんが担当する事なども、併せて発表されました。

ちなみに、タイトル中の「13人」とは、初代の「鎌倉殿」(鎌倉幕府将軍)であった源頼朝の没後に発足した、2代目の鎌倉殿である源頼家の政権下での、集団指導体制「十三人の合議制」を構成した御家人達(義時も含まれます)を指しているそうです。
まぁ、結局その集団指導体制は、何だかんだであっという間に崩壊する事になるわけですが…。

北条義時


世間一般には、義時よりも、義時の父である北条時政(まだ一介の流人に過ぎなかった頼朝に賭けて平氏政権に反旗を翻し、頼朝最大の後援者として鎌倉幕府の成立に尽力し、幕府成立後は初代執権に就任)や、義時の姉である北条政子(頼朝の正室で、頼朝亡き後は落飾して「尼将軍」と称され、義時と共に幕政の実権を握った)のほうが知名度が高い気もしますが、あえて義時をドラマの主人公にするという事は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての大変革期(動乱)の時代が、義時からの目線で、恐らく、ほぼ1年かけて丁寧に描かれる事になるのでしょう。
という事は、まだどうなるかは分りませんが多分、ドラマ前半のハイライトは、以仁王の挙兵から壇ノ浦で平氏が滅亡するまでの所謂「源平の合戦」、ドラマ中盤のハイライトは、幕府成立後の頼朝による独裁政治(義経が討たれる所も含めて)と、頼朝没後に幕府内で行われたドロドロの権力闘争(北条氏が他の有力御家人達を粛正して幕府の実権を完全に掌握する様や、北条氏一門内でも対立が生じ時政が失脚する様など)、そして後半のハイライトは、後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げて後に “主上御謀叛” とされた「承久の乱」、という感じでしょうか。

昨年放送された大河ドラマ「いだてん」は珍しく違いましたし、過去作の一部(草燃える、太平記、北条時宗、平清盛など)にも違うものはありましたが、そういった一部の例外を除くとNHKの大河ドラマは、時代設定が「戦国時代」もしくは「幕末」のふたつの時代にほぼずっと固定されていましたから、鎌倉時代や南北朝時代など他の時代も好きな私にとって、今回発表された新作大河「鎌倉殿の13人」の放送は、今から楽しみです!

個人的にも、北条義時という人物は、昔から「ずっと気になっていた人」でした。好感の持てる人物かどうかと問われると、ちょっと微妙ではありますが(笑)。
北条政子が事実上の主人公だった、昭和54年の大河ドラマ「草燃える」(古い作品なのでさすがに私もオンエアでは見ておらず、総集編のビデオでしか見た事ありませんが)で、松平健さんの演じた北条義時が、私の中では今でも強烈に印象に残っています。
当初は、伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎず、性格も純朴で涙もろいおぼっちゃんだった義時が、権謀術数の限りを尽くして政敵を次々と追い落としていく冷徹な政治家へと変貌していき、幕府の事実上のトップに立って朝廷をも完全に制圧し、北条氏による独裁政権を築いていく様は、なかなか興味深く見応えがありました。
まぁ、一個人として性格が良かったかどうかは兎も角(笑)、義時が日本の歴史上屈指の有能な政治家・武将のひとりであった事は、間違い無いでしょうね。


義時以外にも、鎌倉幕府を支えた歴代の執権には有能な人物が多く、例えば、鎌倉幕府の基本法にして日本最初の武家法「御成敗式目」を制定し、人格的にも優れ武家・公家の双方から人望が厚かったと伝わる第3代執権で第2代得宗の北条泰時や、政敵を容赦なく潰して執権権力を着々と強化していく一方で、政敵ではない御家人達や一般民衆に対しては徹底した善政を敷いた事で後世にまで名君として伝わり、能の「鉢の木」のエピソード(廻国伝説)などでも語り継がれていった第5代執権で第4代得宗の北条時頼、得宗権力の更なる強化を図る一方で、元寇(当時世界最大の帝国であったモンゴル帝国による日本侵略)に対峙し二度に亘る元寇を退けた事で “日本の国難を救った英雄” と評された第8代執権で第5代得宗の北条時宗などは、現在も名執権として高く評価されていますが、彼らがその能力を存分に発揮出来る下地を作り上げたのは、第2代執権で得宗家の祖となった義時であったともいえます。
義時の時代に、執権が、将軍の単なる補佐役ではなく、幕府最高権力者の地位である事が確定し、更に、武家政権である幕府が公家政権である朝廷に対しても支配的な地位を持ち、幕府が事実上の全国統一政権となったわけですから。

もっとも、義時が「彼らがその能力を存分に発揮出来る下地を作り上げた」を成し得たのは、義時の父である時政が、義時に先んじてそもそもの下地を作りあげた(伊豆の一豪族に過ぎなかった北条氏を、時政が一代で、他の有力御家人達と肩を並べる幕府有力者の地位にまで高めた)事によってもたらされた成果とも言えます。
平清盛を首班とする平氏政権が全盛だったあの時代に、頼朝に賭けて平氏政権に反旗を翻したのは、時政に時勢を察知しうる優れた先見性があったからであり、時政のそういった点については、十分に評価されて良いと思います。そもそも、時政の活躍がなければ、義時が世に出る事も先ずなかったでしょう。
しかし、時政が築き上げた北条氏の権力基盤を、更に絶対的なものへと昇華させたのは、義時です。鎌倉幕府が「承久の乱」に勝利して事実上の全国統一政権になったのは、明らかに義時の手腕に因る所が大きいです。

しかも時政は、晩年、若い後妻である牧の方と共謀して(というより、首謀者はむしろ牧の方?)、畠山重忠謀殺や源実朝暗殺未遂などに関わる事となり、そのため最終的には息子である義時と娘である政子から見限られて幕府から追放され、寂しく生涯を閉じており、“晩節を汚した” という印象が否めません。
北条一門の子孫達も、「得宗家の初代は義時」と認識し、時政の存在はほぼ無視しており、清廉で知られた第3代執権の北条泰時も、頼朝・政子・義時らを幕府の祖廟として事ある毎に参詣し、彼らに対する仏事は欠かさなかったにも拘わらず、時政に対しては「牧氏事件で実朝を殺害しようとした謀反人」であるとして仏事を行わなかった、と伝わっています。
そう考えると、義時の父・時政は、自業自得とはいえ、少し可哀そうな人ではありますね…。


北条氏 略系図


ところで、朝廷と対決した人物というのは、日本の歴史上、義時以外にも何人かいます。天皇もしくは上皇から追討の勅が下されて正式に「朝敵」と認定され人物として、特に代表的な人物を挙げると、例えば義時以外では以下のような人達がいます。

藤原仲麻呂 (恵美押勝の乱を起こして孝謙上皇から政権奪取を企むも、官軍に敗れて敗死)
平将門 (朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し東国の独立を標榜した事により朝敵とされ、 討伐された)
源頼朝 (兄である頼朝と対立した義経が、後白河上皇に頼朝追討の院宣を迫り出させるが、頼朝の圧倒的な優勢により、上皇は直ぐにその院宣を取り消した)
源義経 (自分への追討の院宣を取り消させた頼朝が、逆に義経追討の院宣を出させた)
北条高時 (後醍醐天皇により朝敵とされ、一族とともに自害して果て、鎌倉幕府は滅亡するものの、後に遺児である北条時行が南朝に帰参したため、死後に朝敵を赦免された)
北条時行 (鎌倉幕府再興を掲げて「中先代の乱」を起こして建武政権と対峙したため、後醍醐天皇から朝敵とされたが、後に南朝に帰参したため、朝敵を赦免された)
楠木正成 (南北朝の戦いは北朝の勝利で終わったため、北朝や足利氏との戦いで討死した者達は正成も含め全て朝敵とされたが、永禄2年、正成の子孫を称する楠木正虎の嘆願により、正親町天皇から勅免が下され、正成は正式に朝敵から外された)
武田勝頼 (織田信長が朝廷を動かして、武田家当主の勝頼を朝敵とした)
徳川慶喜 (薩長らの倒幕勢力が朝廷を動かして慶喜追討令を出させるが、慶喜本人は朝廷への徹底恭順を示したため、後に赦免され、明治維新後、名誉を回復して従一位勲一等公爵、貴族院議員などになった)

しかし、朝廷と対決し「朝敵」という不名誉な烙印を押されてしまったこれらの人物(実際にはもっといますけど)の中で、実際に朝廷を完全に敗北させてしまった武将(実質、朝廷を倒してしまった人物)は、日本の歴史上、義時ただひとりです。
しかも追討の勅というのは、少なくとも中世以降は、朝廷の強い意思によって出される事は稀で、ほとんどの場合、時の有力な権力者が政敵を討伐する口実が必要になった時、保護下にある朝廷から引き出す形で下されたのですが、義時追討令だけは、朝廷(後鳥羽上皇)の強い意志によって出されており、それだけに、朝廷主導のその義時追討が失敗し、それによって、鎌倉幕府が京都の朝廷を出し抜いて全国的な統一政権となり、以後、武家政権が全国を支配するという政治体制が、建武の新政などの一時期の中断を除いてほぼ途切れる事なくずっと、江戸幕府が崩壊するまで続く事になるわけですから、その歴史的な意味は極めて大きいものがあります。

そして、そういった事も踏まえて考えると、前述の「一個人として性格が良かったかどうか」なんてのは、歴史上の人物の偉業を論じる際には、別にどうでもよい事なのかもしれません。
そもそも性格の話なんかをしだしたら、日本史の偉人の中で絶大な知名度を誇る源頼朝、足利義満、織田信長、晩年の豊臣秀吉なども、もし自分の身近にいたとしたら、多分あまり近づきたくはないタイプですからね(笑)。

ちなみに、歴史学者の細川重男さんは、義時について、「義時の生涯は降りかかる災難に振り回され続けた一生であった。その中で自分の身と親族を守るために戦い続けた結果、最高権力者になってしまった」 「頼朝の挙兵がなければ、一介の東国武士として一生を終えたであろう」などと評しており、個人的には、こういった評価もなかなか興味深いです。
「鎌倉殿の13人」で、その義時がどのように描かれるのか、今からとても楽しみです♪


ところで、NHKからの今回の発表を受けて、鎌倉市の松尾崇市長は、以下のように喜びのコメントを発表しています。
「鎌倉幕府の礎を築いた北条義時公が主人公となった事を大変喜ばしく思っています。また、三谷幸喜氏作と聞いており、今からとても楽しみです。今後、本市としても大河ドラマの放映と連動した取り組みを進め、鎌倉が育む歴史文化の魅力発信やシティープロモーションにつなげて参りたいと考えています。」

それに対して、小田原市の加藤憲一市長は、NHKからのこの度の発表を受けて「率直に、がっくりきた」と、露骨に失望感をあらわにしたコメントを発表しています。
小田原市は、昨年までの2年間、小田原北条氏5代、所謂「後北条」の初代である伊勢宗瑞(北条早雲)の没後500年に合わせた顕彰事業を展開しており、その一環として、所縁の市町と共に後北条氏5代を大河ドラマに取り上げるよう要望活動にも取り組んできただけに、同じ県内が舞台で、しかも同じ「北条」が選ばれた事がショックだったようで、報道によると小田原市の関係者達からは、「手応えを感じ、期待していただけに残念」「同じ北条姓で、後北条は先送りになるのではないか」「落胆せずに、また粘り強く活動していく」などの声が出ているそうです。

今回の件で、鎌倉市と小田原市が示した反応は正反対で、まさに “大河ドラマ悲喜こもごも” です…。


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