前回の記事では、京都市北区等持院北町に鎮座する、足利将軍家の菩提寺「等持院」の歴史や境内などを紹介しましたが、今日は、その等持院に奉安されている歴代足利将軍の木像(肖像彫刻)を紹介致します。
これらの木像は、今年4月20日の記事の最後のほうで詳述したように、幕末期の1863年、尊王攘夷派によって首が奪われて三条河原に晒されたという事件でもよく知られています。

歴代足利将軍の木像が奉安されているのは、等持院の方丈(釈迦如来坐像が本尊として奉安されている本堂)の東隣に位置し、方丈とは渡り廊下で繋がっている「霊光殿」という建物です。

等持院_06


霊光殿の内部中央奥の内陣には、本尊として、足利尊氏の念持仏である利運地蔵菩薩がお祀りされており、本尊に向かって左側には禅宗の始祖である達磨大師像が、向かって右側には等持院開山の夢窓国師像が、それぞれお祀りされています。
なお、先月私が霊光殿を見学した際、「霊光殿内は写真撮影禁止」という表示が出ていたため、先月の見学では殿内の写真を撮る事は出来ませんでした。そのため、以下にアップしている各写真はいずれも、私が今から13年前に等持院の霊光殿内を見学した時に撮影した写真(当時は「撮影禁止」の表示は無かったと記憶しています)、もしくは、書籍に掲載されている写真をキャプチャーしたものです。

等持院 霊光殿

上の写真ではちょっと分かり辛いと思いますが、内陣の本尊に向かって左側の脇壇奥から、室町幕府初代将軍の尊氏像、2代義詮像、3代義満像、4代義持像、6代義教像、7代義勝像、8代義政像が、そして右側の脇壇奥から、徳川家康像、9代義尚像、10代義植像、11代義澄像、12代義晴像、13代義輝像、15代義昭像が奉安されています。理由は分かりませんが、5代義量像と14代義栄像は欠いた状態となっています。
下の写真は、手前から義勝像、義教像、義持像です。義勝は、赤痢のため僅か10歳で没した幼い将軍だったため、木像の表情も、子供らしさが強調されたものとなっています。

歴代足利将軍木像

なお、これらの木像の前にぞれぞれ掲げられている木札に記されている歴代数(等持院独自のもの)と、一般的な歴代数とは、必ずしも一致していません。例えば、義輝は一般には13代将軍と解されていますが、木像前の木札では「十四代」と記されています。


▼ 初代将軍・足利尊氏(等持院)像

足利尊氏像_01

足利尊氏像_02


▼ 第2代将軍・足利義詮(寶篋院)像

足利義詮像


▼ 第3代将軍・足利義満(鹿苑院)像

足利義満像_01

足利義満像_02


▼ 第7代将軍・足利義勝(慶雲院)像

足利義勝像


▼ 第8代将軍・足利義政(慈照院)像

足利義政像_01

足利義政像_02


▼ 第13代将軍・足利義輝(光源院)像

足利義輝像


▼ 第15代将軍・足利義昭(霊陽院)像

足利義昭像_01

足利義昭像_02


▼ 徳川家康像

徳川家康像

この家康像は、家康が42歳(男性の大厄とされる歳)の時に厄落としのために作らせたもので、徳川家光が石清水八幡宮の豊蔵坊に寄進して、天下泰平国土豊穣を祈念させたと伝わっています。そして明治になって、神仏分離により豊蔵坊が廃止された事により、豊蔵坊から等持院に寄進されたそうです。
家康像の安置場所として等持院が選ばれた経緯ははっきりしていませんが、徳川氏は新田氏の末裔であるという伝承があるため、歴代の足利将軍の木像と家康の木像とを並べる事で、足利氏と新田氏の和解の象徴としたかったのではないか、という解釈もあるようです。


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