何年か前に、直木賞作家の安部龍太郎さんが著した「バサラ将軍」(文春文庫)という本を買って読みましたが、先日、この本を数年ぶりに読み返してみました。

この本は、建武の新政の時代から4代将軍足利義持の時代にかけて(南北朝時代~室町時代前期頃)を舞台とした短編小説を一冊に纏めた本で、「兄の横顔」「師直の恋」「狼藉なり」「知謀の淵」「バサラ将軍」「アーリアが来た」の6編から成っています。
作中で描かれている足利尊氏や足利基氏などは、私が抱いているイメージとはかなり違う点もあり、そのため私としては、その描写には全面的には賛同しかねる所もあるのですが、しかし、そもそもこの時代が舞台の小説は少ない上、時代考証などはかなりしっかりしているように思えるので、そういった意味では貴重な作品だと思います。

バサラ将軍

兄の横顔』は、足利尊氏の弟・直義を主人公としており、直義の生真面目な性格と、尊氏との政治思想の違いや、尊氏に対しての直義の屈折した感情などが描かれています。
尊氏は、常に飄々としていてあまり深くは考えていないようでいて、実は全てを計算しているかのような腹黒さもあったのではないか、と思わせるような描き方をされており、尊氏が、掴みどころの無い、まるで鵺のような存在として描かれているのが興味深かったです。

師直の恋』は、太平記の中ではよく知られているエピソードのひとつでもある、高師直が塩冶高貞の妻に横恋慕するという話を、師直の視点から取り上げたものです。
一般に師直は、「武将としては足利軍には欠く事が出来ない、極めて有能な猛将であるが、その一方で、好色で、傍若無人で、専横な振る舞いも多かった」と解されていますが、この作品での師直は、まさにそのイメージ通りに描かれていました。

狼藉なり』は、これも太平記の中ではよく知られているエピソードのひとつである、光厳上皇の牛車に対する土岐頼遠の狼藉事件を題材としている作品です。
「師直の恋」同様、この「狼藉なり」も主人公は高師直で、頼遠は勿論、尊氏や直義も登場しますが、あくまでも師直の視点からストーリーは進んでいきます。頼遠の斬首を主張する直義に対して、最後まで頼遠を庇い続ける師直の姿は、従来の悪役一辺倒のイメージとは異なり少し新鮮でした。

知謀の淵』は、はっきり言って非常に後味の悪い作品です。しかし、主人公・竹沢右京亮の心理や彼の境遇についての描写が残酷な程に生々しく描写されており、これをこの本の表題作にしたほうが良かったのではないかとも思える程、かなり力の入った秀作でもあります。
畠山国清の命令により、新田義貞の子・義興を多摩川で奸計によって謀殺した竹沢右京亮が、敵から非難・軽蔑されるのは当然としても、味方からも卑怯者と蔑まれ、どんどん不幸になっていく、転落と悲劇の物語です。

バサラ将軍』は、室町幕府の全盛期を築き上げた3代将軍 足利義満を主人公とした作品で、この本の表題作でもあります。
絶対的な権力者である義満と、後円融帝の寵姫との不義事件を題材としながら、生まれながらにして統治者である義満が帝に対して抱く劣等感やその深層心理が描かれています。

アーリアが来た』は、足利義持に献上するため、南蛮のスマトラ島を治める太守から贈られてきた象のアーリアを、義嗣派(義持と対立している足利義嗣を支持する勢力)からの襲撃を警戒しながら、若狭の小浜から京都まで運搬する馬借(馬を利用して荷物を運搬する輸送業者)のお話です。主人公は、今津の馬借・源太です。
歴史物としては珍しく動物を題材としており、他の5編とはかなり趣きの異なる作品ですが、陰湿な展開は全く無く、この本の中では最も軽快に読み進んでいく事が出来る作品です。

私としては、読後に後味の悪さが残るものも何編かはあったものの、どのエピソードも、かなり興味深く読む事が出来ました。
ただ、南北朝時代・室町時代や室町幕府に興味を持ち始めたばかりの、所謂“初心者”の方々には、個人的には、この本はあまりオススメ出来ません。登場する人物が余りにも俗物や小物ばかりで(それが悪いと言っているわけではありませんが)、そのくせに、傍若無人であったり奸計を謀ったりするので、この時代や室町幕府に興味を持ち始めたばかりの“初心者”だと、そういった事に新鮮さを感じるより、むしろ、室町幕府や、幕府を支えている武将達の言動に勝手に失望して、この時代や室町幕府に呆れるか興味を無くしてしまうのではないか、という懸念を感じてしまうからです(笑)。


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