この世は夢のごとくに候

~ 太平記・鎌倉時代末期・南北朝時代・室町幕府・足利将軍家・関東公方足利家・関東管領等についての考察や雑記 ~

南朝の天皇・皇族・武将をお祀りする神社

3年程前に鎌倉を旅行した際、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王を御祭神としてお祀りする鎌倉宮を参拝・見学してきたのですが、その時に同宮の授与所で受けてきたのが、この冊子「建武中興六七〇年記念 南朝関係十五神社巡拝案内記 -附・十五社御朱印帳-」です。奥付によると、発行は平成15年12月15日です。

南朝関係十五神社巡拝案内記

巻尾の御朱印帳も含めて全84ページ(そのうち各神社の紹介ページはカラー)の冊子で、以下は、この冊子の冒頭にある「はじめに」のページに記されている、建武中興十五社会の会長挨拶です。これを読むと、この冊子の発行された趣旨がおおよそ分かります。

後醍醐天皇を御祭神とする吉野神宮をはじめ、建武中興関係の十五神社が相諮(あいはか)り、建武中興の精神を体して、わが国体の発揚に尽瘁(じんすい)することを目的として、平成四年に「建武中興十五社会」が結成された。当会では、明年三月十三日を以って、建武改元の日から数えて六七〇年を迎えることから、建武中興の偉業を偲び、その意義を改めて想い起こすと共に、これの宣揚を図るため、祭典及び事業を行うこととなった。
「建武中興」、その言葉は、戦後教育制度の偏向によってか、今日では教科書からも消え、「建武の新政」に言い替えられたようである。
「建武中興」とは、第九十六代後醍醐天皇が、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を皇祖とする天皇を中心として形成する国家、「神国」の本義をふまえ、延喜・天暦の御代にならって、天皇親政の理想国家を実現されようとした功業(こうぎょう)である。単に後醍醐天皇が新しい政治改革をされたというだけではない。
しかし、後醍醐天皇により一旦はなった建武中興も、足利尊氏の謀反により中断の已むなきに至るが、その度同天皇の崩御の後も、御遺志を継がれた天皇、皇子達を中心に、幾多の忠臣義士が、その国家中興の理想実現のため、一族一門を投げうって幕府政治と闘った。その歴史には、まことに尊いものがある。そして多くの苦難と犠牲を伴い、ようやく五百余年の歳月を経て、明治維新を迎え、王政復古となったのである。明治天皇の鴻業(こうぎょう)が、近代日本国家建設の重要な基盤となったことを想うとき、建武中興の深くて尊い意義を思わずにはおれないのである。
戦後わが国の姿は一変した。教育の荒廃は日本人の心まで変えた。翻って国の肇(はじ)めに立ち返り、わが国体の本義を深く認識すべきである。
こんな秋(とき)において、建武中興六七〇年という節目を迎えた。建武中興の偉業を偲び、一人でも多くの人に、本誌を手に十五社を御参拝願い、朱印を受けられつつ、御神徳にふれて戴きたいと願う次第である。
(後略)
平成十五年十二月
建武中興十五社会 会長 寺井種伯


建武中興(建武の新政)から丁度670年経つ事を記念して、後醍醐天皇を始めとする南朝の天皇・皇族・武将を御祭神としてお祀りする、特に南朝に所縁の深い神社15社が集まって「建武中興十五社会」を結成し、その記念事業として、また、建武中興の啓発事業として、祭典や各種の事業(その事業のひとつにこの冊子の発行も含まれていたのでしょう)を行なうという事らしいです。
なお、その15社とは、北は福島県から南は熊本県に至る、以下の各神社です。

① 吉野神宮
主神 … 後醍醐天皇
旧社格 … 官幣大社
鎮座地 … 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226

② 鎌倉宮(大塔の宮)
主神 … 大塔宮 護良親王
旧社格 … 官幣中社
鎮座地 … 神奈川県鎌倉市二階堂154

③ 井伊谷宮(新宮さん)
主神 … 宗良親王(一品中務卿宗良親王)
旧社格 … 官幣中社
鎮座地 … 静岡県引佐郡引佐町井伊谷1991-1

④ 八代宮(将軍さん)
主神 … 懐良親王
配祀 … 良成親王
旧社格 … 官幣中社
鎮座地 … 熊本県八代市松江城町7-34

⑤ 金崎宮(親王さん)
主神 … 尊良親王、恒良親王
旧社格 … 官幣中社
鎮座地 … 福井県敦賀市金ケ崎町1-1

⑥ 小御門神社(文貞公)
主神 … 贈太政大臣 藤原師賢公(文貞公)
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 千葉県香取郡下総町名古屋898

⑦ 菊池神社(新宮さん)
主神 … 贈従一位 菊池武時公、贈従三位 菊池武重公、贈従三位 菊池武光公
配祀 … 贈従三位菊池武政命 以下二十六柱
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 熊本県菊池市大字隈府1257

⑧ 湊川神社(楠公さん)
主神 … 楠木正成公(大楠公)
配祀 … 楠木正行卿(小楠公)及び湊川の戦で殉節された楠木正季卿以下御一族十六柱並びに菊池武吉卿
摂社 … 甘南備神社御祭神(大楠公夫人)
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 兵庫県神戸市中央区多門通3-1-1

⑨ 名和神社
主神 … 伯耆守従一位 源朝臣名和長年公
配祀 … 御一族以下四十二柱
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 鳥取県西伯郡名和町名和556

⑩ 阿部野神社(阿部野さん)
主神 … 北畠親房公、北畠顕家公
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 大阪市阿倍野区北畠3-7-20

⑪ 藤島神社(藤島さん)
主神 … 新田義貞公
配祀 … 新田義宗卿、脇屋義助卿、新田義顕卿、新田義興卿
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 福井県福井市毛矢3-8-21

⑫ 結城神社(結城さん)
主神 … 結城宗広卿
配祀 … 結城親光朝臣一族殉難将士
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 三重県津市大字藤方2341

⑬ 靈山神社(官幣社)
主神 … 大納言 北畠親房卿、陸奥大介・鎮守府大将軍 北畠顕家卿、陸奥介・鎮守府将軍 北畠顕信卿、陸奥國司 北畠守親卿
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 福島県伊達郡霊山町大石字古屋舘1

⑭ 四條畷神社(小楠公さん)
主神 … 楠木正行卿
配祀 … 楠正時朝臣以下二十四柱
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 大阪府四條畷市南野2-18-1

⑮ 北畠神社(国司さん)
主神 … 北畠顕能卿
配祀 … 北畠親房卿、北畠顕家卿
旧社格 … 別格官幣社
鎮座地 … 三重県一志郡美杉村上多気1148


実際には、上記の15社以外にも、南朝の天皇・皇族・武将をお祀りしている神社はあるので、この15社が南朝に所縁のある神社全てというわけではありませんが、この15社が、特に代表的な南朝系の神社である事は確かです。15社共、旧社格はいずれも官幣社ですし。

ところで、このように南朝系の神社が団結しているのに対し、北朝系の神社というのは、具体的に団結もしくは何らかの活動をしているのでしょうか。歴史的に足利氏と縁が深いという神社はたまに聞きますが、北朝の天皇・皇族や、足利一門を御祭神としてお祀りしている神社というのは、もしかするとどこかにあるのかもしれませんが、生憎私はまだ一度も聞いた事がありません…。
一般に北朝が正統とされていた時代(室町時代から江戸時代中期頃にかけて)であれば、むしろ、南朝系よりも北朝系の神社があるほうが自然だったはずですから、現在、北朝系の神社をほぼ全く聞かないというのは、尊氏が逆賊視されるようになった明治以降に、そういった神社が廃祀されたり、もしくは御祭神を変更したりといった事があったのかもしれませんね。


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楠公父子別れの伝説地 櫻井驛跡

先月、京都・大阪方面を旅行した際、本年9月25日の記事で詳述した「桜井の別れ」の舞台となった、楠公父子別れの伝説地として有名な、国指定史跡「櫻井驛跡」を見学してきました。ここは、私にとっては今回が初めての見学でした。

ちなみに、櫻井驛跡の「駅」とは、勿論現在の駅(鉄道の施設)とは意味が異なり、大化の改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達するために馬を配した役所の事です。当時は30里(約16km)毎に設けられていました。

以下に、私がこの時櫻井驛跡で撮影してきた風景・石碑・石碑の案内板等の写真をアップします。
平日の午前中で雨天という事もあったのでしょうが、私の他にも全く誰もいませんでした。

桜井駅跡_01

桜井駅跡_02

桜井駅跡_03

桜井駅跡_04

桜井駅跡_05

桜井駅跡_06

桜井駅跡_07

桜井駅跡_08

桜井駅跡_09


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室町幕府跡を見学してきました

今月の13日から15日にかけて、私は2泊3日の日程で、京都・大阪方面を旅行してきました。
1日目は、夜に札幌を発ったため現地ではほとんど時間が無く(その日は大阪市内で泊まっただけです)、2日目は主に京都府内で終日予定があり、そして3日目は、お昼頃から大阪府内で人と会う予定があり、しかもその日の夕方には関空から札幌へと帰らなければならなかったため、私は3日目の午前中の空いている時間を利用して、雨の中、京都市上京区室町通今出川上ル築山南半町にある「室町幕府跡」を見に行ってきました。

十年くらい前に一度行った事があるので、私にとってはそれ以来、二度目の来訪となります。
もっとも、幕府跡とはいっても、単に石柱・石碑が立っているだけで、当時の栄華を偲ばせるものは何もありません。

室町幕府跡_1

室町幕府跡_2
ここは、具体的には室町幕府第3代将軍・足利義満が造営した足利将軍家の邸宅跡で、「花の御所」と称された同邸宅のあったこの辺り一帯が、事実上、室町幕府の中枢と呼べるべき場所でした。
今はその面影は皆無ですが、一時は、この辺りが日本の政治の中心地だったのです。

室町幕府跡_3

ちなみに、単に「御所」という場合、通常は天皇や上皇の邸宅(皇宮)を指すのですが、そうであるにも拘わらず、なぜ足利将軍家の邸宅が「花の御所」と称されたのかというと、言葉通り、最初は本当に花の御所であったからです。
将軍家の邸宅は、元々は第2代将軍の義詮が祟光上皇に献上した花亭で、祟光上皇が御所として使われた事で「花の御所」と称されるようになったのです。
しかし、その後御所としては使用されなくなり、義満が、今出川家の菊亭の焼失跡と合わせて一つの敷地として、将軍家の邸宅として整備したのです。


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足利氏と上杉氏の系図

足利氏一門(鎌倉時代の足利家、足利将軍家、関東公方足利家)や、代々関東管領の職を継いで関東公方足利家を支えた上杉氏(但し時には関東公方と対立して戦火を交える事もありましたが)の、詳細な系図です。

足利氏関係の系図では、私が最も見る機会の多いもので、日頃から重宝しています。
この系図はクリックすると拡大表示されますので、是非拡大の上御覧下さい。

足利氏・上杉氏系図


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足利氏を始めとする源氏一門の氏神とされた石清水八幡宮

昨年の2月、私は仕事の関係で、三重県の某所で4泊5日の日程で開催された研修を受講してきたのですが、その研修に行く途中、少し時間があったので、京都府八幡市の男山山中に鎮座する石清水八幡宮に立ち寄って、同宮を参拝・見学してきました。

石清水八幡宮_01

平安時代前期の895年(貞観元年)7月15日の夜、豊前国(今の大分県)の宇佐八幡に参篭していた奈良大安寺の僧・行教が、八幡大神から「われ都に近き男山に移りて国家を鎮護せん」との御神託を受け、行教はこの託宣に従って同年、男山の峯に御神霊を奉安しました。これが、石清水八幡宮の起源とされています。
本殿でお祀りされている御祭神は、八幡大神(誉田別尊)、比咩大神(宗像三女神)、神功皇后(息長帯比賣命)の三柱です。

石清水八幡宮は、足利将軍家が特に篤く信仰したお宮ですが、同宮は足利氏だけではなく、八幡太郎の名で知られる源義家や、鎌倉幕府を開いた源頼朝、それに徳川将軍家など、歴代の源氏一門から、源氏の氏神、武門(弓矢)の神として篤く崇敬されてきました。
また、武家だけではなく朝廷からも、国家鎮護の社として篤く崇敬されてきました。

しかし、南北朝時代の動乱期には、石清水八幡宮はその地理的要衝から恰好の軍事目標となり、しばしば軍事拠点となって兵火にも晒されました。
その動乱期に京都で室町幕府を開いた足利尊氏は、源氏一門の棟梁として八幡大神を篤く崇敬し、石清水八幡宮には度々戦勝を祈請し、1338年に兵火で社殿が焼失した際には、尊氏は弟の直義と共に直ちに社殿の造営に着手し、同年中に遷宮が行なわれました。

幕府が京都に置かれた事もあって足利将軍の社参は特に多く、室町幕府の全盛期を築いた第3代将軍義満は、石清水八幡宮には15回も社参しており、第4代将軍義持に至っては、その数は37回にも及びました。
石清水祠官家嫡流であった田中家は南朝寄りだったそうですが、田中家の支流・善法寺家は北朝・足利氏を支持し、後には善法寺通清の娘の良子が義満の生母にもなっているので、そういった事情も、同宮と将軍家が緊密な関係になっていった事に大きな影響を与えたようです。
下の画像は、石清水八幡宮を篤く崇敬した、僧衣姿の足利義満です。ちなみに、今も名作アニメとして名高い「一休さん」に登場する“将軍さま”は、この義満です。

足利義満

また、幕府の第6代将軍を決める際には石清水八幡宮の神前にてくじ引きがひかれ、このくじ引きの結果により将軍に就いた足利義教は「くじ引き将軍」と称されました。
このように歴代の足利将軍は石清水の八幡大神を篤く崇敬し、石清水八幡奉行も設置しました。

こういった事から、石清水八幡宮には今も、室町幕府歴代将軍の自筆願文や寄進状などが残されています。
一旦は後醍醐天皇方の軍勢の猛攻を受けて九州へ落ちのびた尊氏が、再び軍勢を率いて上洛する際、それに先立って同宮に使者を送って善法寺通清に戦勝祈願を依頼したと伝わる文書も残されており、その文書は、一説によると使者が髪を束ねる紙縒(こより)、元結(もとゆい)に隠して持ち込んだとされる事とから、「元結の御教書」とも呼ばれているそうです。


以下の写真はいずれも、この時(昨年2月)の参拝・見学の際に、私が石清水八幡宮で撮影してきた参道や社殿等の風景です。
行事・祭時がある日、日曜日や祝日、桜の開花する時期、七五三シーズン、年末年始などは混むようですが、私が行った時は行事が何も無い平日のお昼過ぎ頃だったので、境内は閑散としていました。

石清水八幡宮_02

石清水八幡宮_03

石清水八幡宮_04

石清水八幡宮_06


下の写真は、この時社殿を案内して下さった石清水八幡宮の神職さん(中央)と、この時私に付き合って同宮まで一緒に来て下さった歴史学者のK先生(右)です。
神職さんは、この写真の背後に聳える楼門やそれに連なる回廊の内側(通常は祭典に参列するか御祈祷を受けなければ昇殿出来ません)などを案内して下さいました。K先生は、かつて私が京都市内の某学校に2年間在籍していた時の、国史(日本史)の授業を担当されていた先生です。ちなみに、左が私です。

石清水八幡宮_05


ところで、私はうっかり写真を撮ってくるのを忘れましたが、石清水八幡宮には、建武の新政が始まった1334年に楠木正成が植えたと伝わる大きなクスノキもあります。
鎌倉幕府の討幕成功と王政復古を八幡大神に奉告するため、後醍醐天皇は1334年に石清水へ行幸されているので、もしかするとその時に正成が植えたのかもしれません。


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